▲前回と、前々回の投稿にある、 『ウンザリした』 のは、
何も主夫への差別や身勝手な自己保身的意識だけではない。
もう一つ、ウンザリしたのだ (↓以下↓) 。
ウチの子と同じクラスの、絵も工作も得意で、運動もできる、
そしていつも、はきはきとしている□□くん。
彼は、例えば自分が誰かとぶつかった時・・・など、
『あっ、ゴメン。』
・・なんて、すごくイイ受け答えができる子なのだ
(あの社交性をウチの子に分けてもらいたいモンだ。) 。
しかし、私は見てしまったのだ。
少し前のことだ。
□□くんが立ち上がって走り出した時、
□□くんのデイバッグのキーホルダーが、
ウチの子の髪の毛に引っかかったのだ。
抵抗を感じた□□くんが振り向いて、引っかかったのを確認した・・・・
次の瞬間、顔を前に向き直して、キーホルダーが髪の毛に引っかかったまま、
反動をつけ力を入れてウチの子の髪の毛を引きちぎって去って行った。
「あの子にとって、ウチの子はモノ扱いなんだなぁ・・・。」 ・・と、私は思った。
そして、ウチの子が悲しそうな顔をして黙っていたのをみて、
私は何とも言えない悲しい気分であった。
話は少し変わる。
ちょうど先の記述のことを目撃した頃のことだ。
転園してきた子がいたのだが、その子はあまりにも堂々としていた。
お母さん曰く、 『強い子になめられないように・・って感じで警戒していた。』
・・らしいのだが、
□□くんは、 『僕、□□です。よろしく。』 ・・って、すぐに仲良くなったらしい。
ここだけ見ると、よくできるスゴイ子どもってことで、凄いことなんだ・・・。
・・けど、実際の行動を見てみると、
要するに
【強い(強そうな)子にはペコペコして、ウチの子はモノ扱いなんだ】
・・ってことだ。
「男の社会は、犬の社会である」 ・・っていう典型例だ。・・・この2つの事、それはそれでいいのだ。
男の社会では当たり前で自然な事だと思うし、
ウチの子も必ず、
その 「男の社会は、犬の社会である」 ・・ってことを知る日が来るのだから。
少しづつこういうことを通して、それに気がついて行くのだ。
そして、 「男の、犬の社会」 では、
実際には卑怯な振る舞いをしたものが得をして、
しなかったものがはみ出し者になるのだ
(・・かと言って、周囲に合わせていたとしても、
私ははみ出し者になったと思うけど・・。笑) 。
肝心なのは、大人がそれに気が付いて、どう導くか・・だ。当然、私の子には卑怯者にはなってほしくはない。
これを、他の親が問題だと思っているかどうかは、知らん。
多くの人 (親も教諭も) は、気が付いていないんだろうとは、思う。
しかし、これを□□くんに正しいと思わせている・・・可能性がある事がある。
親睦会で□□くんのお母さんが話してた、習わせている警察で教えている武道。
『警察はイイよ。上下関係が厳しいし、きちんと座ってないと、
「ビシッとしてろ」って、叱られるし、
ちゃんと目上の人の言うことを聞くようになるよ。ウチの□□も・・』
・・・って、この通りだと思ったのだ。
・・つyまり、
自分より強い人には、下手に出て、自分より弱い者はきつく当たってもイイ
・・・って事でしょ。それに、上の命令は疑問も持たずに絶対服従、
自分が上の立場ならそれを乱用する。・・・と、いう、
軍隊や警察の持つ自浄作用のないタテ社会を賛美しているようにしか、
私には聞こえなかった。
このタテ社会の組織構造こそ、
自己を正しく制御できない組織の問題点だと思うし、
この価値観を個人に適用すれば、自己を都合よく正当化する問題だらけの人間になる
・・・って、思いもしないのだろうか?。
要するに、 『強い者には何もしないけど、弱い者には何かしらのことをする』
・・これが、□□くんの行動であり、そうなっている自分の息子に気が付かないばかりか、
それを助長していることにも気が付かない・・・。
・・・ってな訳で、前回書いた事も含めて (他にもイロイロと)、
『何~んも考えてねーな、この人たち。』 ・・って、思うことばっかりだったのだ。
こう思うことは今に始まった事ではないのだが・・・。しかし、私の気質としては、そういう人と上っ面の話を合わせることもできないし、
思っていることを黙っているのも苦しい。
こんな付き合いが、改めて『しんどい』と感じたのだ。カアチャンBの流言のせいか、クラス替えのせいかは知らんが、
既に年中クラスになる頃には、多くのカアチャンたちは私から距離を置いていた。
しっかり者で気が利く・・って評判のカアチャンBが主導して、
隣のクラスとの合同の定例以外の親睦会 (子どもも一緒) が開かれることがあるのだが、
ウチの子の発達の為にできる限り他の子と触れ合う時間を設けてあげたいのだが、
そのような会に参加するのは、昨年度の後期からやめている。
もちろん、カアチャンBと顔を合わせることが、嫌だからである。
だが、前回の投稿から書いている、今回の定例の親睦会のこと・・・
・・・で、
これからは定例の親睦会も遠慮したいと思うのだ。『ブドーはイイよ。』 『ブドーは素晴らしいよ。』
・・・こんな言葉には、違和感しか感じない。
先日、中学校での武道の必修化が決まったが、
そもそも、戦後、 『武道ではなくスポーツに』 ・・って、
この国は決めたんじゃなかったか?。
それを、また武道に戻すのならば、まずはその議論から始めなければならないハズ。
武道の復活には、アベチャンの目指す、 『美しい戦前』 があるのはミエミエだ。
銃剣道をどうしても入れたかったことに加え、
目的として挙げている 「伝統と文化の尊重」 とは全くかけ離れた、
更には武道とは全く関係のないダンスを入れてまで、
目的とする軍国主義的色合いをボカそうとしたことからも、
アベチャンの思惑は明らかだ。
銃剣道については、本当に疑問しか出てこない。
コチラが参考になるかと思う。
第一、私は、いわゆる武道とやらが大っ嫌いだ。
試合の度に 『武士道精神に・・』 ・・って、言うけど、
武士を何だと思ってんのかね?。
【失敗=切腹】 が、武士ですよ。
私、生まれる時代がその時代でなくてよかったって思ってる。
それ以前に城勤めなんてガラじゃねーし・・。
私の先祖は、よくもまあ城勤めなんてできたもんだよ。
・・ってことで、武士道ってんなら、試合に負けたら、切腹ですね。
そしたら私も、『すごいなあ、武士道精神で試合してるんだ。』
・・って、感服するよ。
それに、いわゆる武道とやらの関係者や信奉者らは、
どいつもこいつも声を揃えたかのように
『心が磨かれ・・』 、 『精神力が付く・・』 、
『弱者をいたわる気持ちが・・』 、 『人格の完成を・・』
・・って言うけどさ、
私が中学の時、同級生にいた空手の有段者は、
『〇
〇〇ちゃんは、決して手を出さない。』 ・・ってな触れ込みで有名だったけど、
私はソイツに 『カネ持ってこい。』 ・・って殴られたし、
高校に行ってからは、ソイツが狩りをしている話もよく聞いた。
私が直接見たのはソイツ1人だけだが、他にも何人もそんな奴を話に聞いて知ってる。
だから、武道とやらで精神が磨かれるなんてのは、ウソだと思ってる。
同様に、他のスポーツで精神が磨かれるなんてのも、ウソだと思ってる。
こういうまやかしに騙されて、
アベの目指す 『美しい戦前』 にやんわりと加担
(反対しないって事は、加担してるってことだ。)
してしまう人たちと話を合わせるのは、私には
とっても苦痛なのだ!。
ホント、ウンザリだゼ!。
アベ自民党の政治によるこの国も、
それに疑問の欠片も感じない国民にも・・。
※※ 追記 (2021年1月21日) ※※
スポーツで心が磨かれることはありません。
磨かれることがあるとすれば、結果論です。
自分の心を磨くには、スポーツではなくて、内省です。
↓ 【竹の暮らし道具専門店】 シブイよ。
アベは解らないだろうが、こういうのが文化ってんだよ。