なんだか楽しそうに買い物をしている (すご~く楽しそうなんだ。) 。
とても、ほほえましく感じた。
この地方でも、軽度の知的障害の人の婚姻や生活を支援している組織があるのであろう。そのことにうれしい気持ちになったし、少しづつではあるが、障害者の権利の拡大が進んでいることを垣間見た気がして、私は少しいい気分になった。
(しかも、あまりにも楽しそうなので、見てる私も楽しい気持ちになった。)
そんな私の気分をぶち壊したのは、子どもを連れて買い物に来ていた “偽アメカジ” の男だった
(以前の私からは考えられないが、先日亡くなった若い友人の影響で、 「チャラい」 という言葉を、ここ最近使うようになったのだが、その言葉が形容詞として適当であろう。 但し、「“偽アメカジ” = “チャラい”」 とか、 「“偽アメカジ” = “DQN”」 などと言っているわけではない。DQNっぽいチャラ男ではあったのだが・・・。 服装は自由だよ。ただ、そこには、流行に左右されるアイデンティティの希薄さを感じたり、流行が終わったら使い捨てるという、環境への配慮の無さを感じるのだ。 つまりは、昨今の “偽アメカジ” が、この先もベーシックな服飾文化として残るとは思えないのだ・・・。 そして、モノを大切にできないのは、日本を含むいくつかの先進国の国民の大多数に当てはまる課題であって、その行為そのものの改善を望んでいるのだ。 また、 “偽アメカジ” の生産の背景にある、貨幣価値の違う国からの搾取や、その国の環境の破壊も、 “偽アメカジ” を含む服飾商品全般の大きな問題点であると思っているのだ。 ・・・おっと、また話がそれた・・・・・詳しくはいずれ書きたいと思う・・)
(そう言えば、DQNって言葉もネットのゲームで知り合った若い人たちの影響で使ってるなぁー。 もはや「正しい日本語」とかなんとか言える立場ではないな・・・。笑)
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この “偽アメカジ” の男は、ショッピングカートを押して、ワザとその知的障害のご夫婦にぶつかるように、正面から突っ込んだのだ!!!!!。
何も、知的障害のご夫婦が、お店の中で邪魔な態度をとっていたわけではない! (いや、仮に邪魔な行為をしていたとしても、知的障害があると容易にわかるのであるから、 『あっ、ちょっとすみません』 と、にこやかに言って、周辺状況の理解を促すだけで事足りるはずだ!。 もちろん、健常者であったとしてもそういう対応をするべきだ!。) 。
どうせこいつも、 “誰かを見下さなけりゃ生きていけない” カスなんだろう。
それだけじゃない、自分より弱い者を物色して、自分より弱そうな人間にだけ攻撃する卑怯者だ!
(女性にはなかなか理解できないであろうが、男の社会とはこんなものである。 まるで “先に、大声で、吠えたモン勝ち” の、犬の社会だ。 私は、こんな男の社会が大嫌いだよ) 。
若かりし頃の私なら、自慢の三白眼で見つめてあげたのであるが、かなり以前からそういうことはしていない (人間社会に諦めがあるのだろう・・・。まあ、今の、薬や加齢の影響でキツさが取れた私の目で見つめてあげても、たかが知れているだろうが・・・) 。それに、最近では子どもを連れているので当然ながらそんなことはしない。
私が、目を合わせなかったことで、“怖い顔の奴が目を合わせない” 事に自信を得たのであろう。チャラ男は、今度は私に向かって突っ込んでくる (目を合わせなかった方が危険だったりして・・・・苦笑・・。私は平衡機能が不完全なのだから、こういう行為は非常に危険なんだ!。倒れて頭を打って、死んでしまっても知らねーぞ!。そん時ゃ、テメーが責任取れよ!。) 。
ギリギリで躱して、すれ違いざまに 『フンッ、カス。子どもの見本になってないわ!』 と、思わず言ってしまった
(おかしいなぁー、鼻で笑うだけにするつもりだったのだが・・・・。結構大きな声で言ったので、私のような耳や、私以上に不自由な耳でない限りは、聞こえたはずだ。ちなみに、私は子どもを連れていなかった) 。
すまねーな、チャラ男。
でもよ、いい機会だ。子どもの見本になれるように、改めろよ!。
オレも、こういうこと言わないように改めっからよ。
ついでに言えば、オマエ、酒飲んだら気が大きくなって、なんかやらかしちゃうクチだろ?。
依存の前にそういうのは、 『異常酩酊』 って言って、異常だからな。それが原因で人生をダメにするかもよ。
ショッピングカートに酒入ってるけどよ、やめといた方がいいぜ・・・・。


