※※追記 2020年5月21日 04:55※※
本稿を読んでいただければ、少しはわかるかと思いますが、
私は、好きで “はみ出し者” な訳ではないし、
はみ出し者を、また、 「はみ出し者」 と言う言葉を
【カッコイイ】 と勘違いしているDQNや、阿呆ではありません。
当ブログのタイトル 『はみ出し者の閾値』 は、2013年4月に
私 DANGER MELON が考えたオリジナルです。
安易な真似は、“頭が悪そう” に見えるので、おやめになった方がいいですよ。
(↓以下↓は、2013年5月のオリジナル本文です。)
※ 前回、ブログの移転について長々と書いたのであるが、時間をかけた割になんだかどうでもいいことの羅列になってしまった感がある (前回の投稿は、現在はupしておりません。) 。
要するに移転の理由は、ネット上で付き合いのある人間の中で、面倒な事を言ったり差別的に考えたりするであろう人間の視野から私のブログを消してしまいたかった・・・という事だ。そういう、自分や友人の生き方や思想について何も考えていないような人間には困ったもんだ・・。 ※
前書きはこれくらいにして、今回の投稿のタイトルである 『タイトル』 について
(なんじゃそりゃ 笑 ) (以下) 。
新しく引っ越しをしたブログにおいて、そのブログのタイトルを変更したのは、もちろん、旧タイトルでの検索に引っかからないようにするためであるのだが、
『はみ出し者の閾値』 としたのは、それなりのワケがある。
私は、確かに “はみ出し者” であることは、もう否定しない。
しかし、何人かの人が言うように、自らその道を選んだつもりもないし、わざと人の輪に入って行かないようにしている訳でもない
(学生時代に、若い同級生数人から言われたのであるが、私はあくまで普通に接しているし、輪に入るように心掛けていた。 まあ、彼らは、“なんとなく” 無意識下で持ったイメージを私のイメージを持って、私の分析を試みたのであろうが、私の外見を見て、 「攻撃的な人」 だとか、 「人と仲良くしない人」 だと決めつけるのは、客観的根拠が全くない。 当時、私に 『あなたのような、悪い人が、医学を志すと言うのが、私には理解できません・・。』 だとかなんとか言った若い子 (似たようなことは、1回生の時は、何も人かから言われた。) に、 『もしかして、オレ、自分が気づかないだけで、君が嫌がるようなことしてしまったり、言ったりした?。だったら、率直に言ってくれ。自分が悪いのならお詫びもするからさ・・・。』 と、言ったら、どの子も答えられなかった。 ← 若い “子” 扱い ですまんが、私から見れば子どもだよ。・・・笑)
(一応書いておきますが、私は・・と言えば、アメカジ大好きと言えども、幅広いアメカジのジャンル内でも、威圧感の無いスタイルをしていることが多い。単車も手元にないし、バイカー系のスタイルもほとんどしないし、1年に2~3回くらいR&R系のスタイルをするくらいで、大概はスタンダードなアメリカンカジュアルスタイルか、ワーク系アメリカンカジュアルで過ごしている。・・であるので、服装による威圧感は無いと思われる。 ここで言う私の外観とは、体格や顔貌から周囲が決めつけるモノを指していることを、ご理解いただきたい。) 。
ただ、実際には確かに “はみ出し者” であるし、それを自覚しているだけではなく、そのことで苦労もしているからこそ (客観的数値に表せるわけもないのであるが) “はみ出し者” となるラインを知りたいと思うことはある。
そこで、 “閾値” と言う言葉を使わせてもらうことにしたのだ。
もちろん、私が色々な事象に対して、我慢の限界が来たらブログに書く・・・という事も、 “閾値” という言葉を使うことにした理由のひとつだ。
また、好きでやっているわけではない “はみ出し者” だが、周囲の人たちから勝手に嫌われて、 “厄介者” と言う意味で、 『はみ出し者』 と呼ばれることもある。
要するに、人と同じ行動をしていても、私は 『はみ出し者』 と呼ばれるし、時には “不必要な人間” 扱いも受けるわけだ (misfitではなく、black sheepといった感じかな・・・) 。
そういった嫌われ者の状態でも、何とか平和に暮らしていきたいとは願っているし、生きていこうと思っている。
つまり、 “生き地 (生きている空間、聖域、と言う様な感じかな・・) ” またにかけている。
更には、そういった嫌われ者の状態は、「生まれついての運命」 だという意味で “生き血” にも、かけてあるのだ。
余談だが、旧ブログのタイトルも、そう言った “聖域” の様な意味をも含めて付けた (旧ブログに関しては、当初はそうでもなかったのであるが、タイトルも気に入っていたので、いつか縫製関係だけに特化したブログとして復活させようかと思っていたりして・・・。その時は、こちらの縫製関係の記事はどうしようかと思案中・・・) 。
まあ、つまりは、
『オッサンはダジャレ(掛詞)が好き』
だということだ。
これまではそんなことは、全くなかったのであるが、
何故だか知らんが (これがオッサンというものなのか!?!) 、
ここ数年、掛詞ばかり思いつくのだ (笑) 。



本稿を読んでいただければ、少しはわかるかと思いますが、
私は、好きで “はみ出し者” な訳ではないし、
はみ出し者を、また、 「はみ出し者」 と言う言葉を
【カッコイイ】 と勘違いしているDQNや、阿呆ではありません。
当ブログのタイトル 『はみ出し者の閾値』 は、2013年4月に
私 DANGER MELON が考えたオリジナルです。
安易な真似は、“頭が悪そう” に見えるので、おやめになった方がいいですよ。
(↓以下↓は、2013年5月のオリジナル本文です。)
※ 前回、ブログの移転について長々と書いたのであるが、時間をかけた割になんだかどうでもいいことの羅列になってしまった感がある (前回の投稿は、現在はupしておりません。) 。
要するに移転の理由は、ネット上で付き合いのある人間の中で、面倒な事を言ったり差別的に考えたりするであろう人間の視野から私のブログを消してしまいたかった・・・という事だ。そういう、自分や友人の生き方や思想について何も考えていないような人間には困ったもんだ・・。 ※
前書きはこれくらいにして、今回の投稿のタイトルである 『タイトル』 について
(なんじゃそりゃ 笑 ) (以下) 。
新しく引っ越しをしたブログにおいて、そのブログのタイトルを変更したのは、もちろん、旧タイトルでの検索に引っかからないようにするためであるのだが、
『はみ出し者の閾値』 としたのは、それなりのワケがある。
私は、確かに “はみ出し者” であることは、もう否定しない。
しかし、何人かの人が言うように、自らその道を選んだつもりもないし、わざと人の輪に入って行かないようにしている訳でもない
(学生時代に、若い同級生数人から言われたのであるが、私はあくまで普通に接しているし、輪に入るように心掛けていた。 まあ、彼らは、“なんとなく” 無意識下で持ったイメージを私のイメージを持って、私の分析を試みたのであろうが、私の外見を見て、 「攻撃的な人」 だとか、 「人と仲良くしない人」 だと決めつけるのは、客観的根拠が全くない。 当時、私に 『あなたのような、悪い人が、医学を志すと言うのが、私には理解できません・・。』 だとかなんとか言った若い子 (似たようなことは、1回生の時は、何も人かから言われた。) に、 『もしかして、オレ、自分が気づかないだけで、君が嫌がるようなことしてしまったり、言ったりした?。だったら、率直に言ってくれ。自分が悪いのならお詫びもするからさ・・・。』 と、言ったら、どの子も答えられなかった。 ← 若い “子” 扱い ですまんが、私から見れば子どもだよ。・・・笑)
(一応書いておきますが、私は・・と言えば、アメカジ大好きと言えども、幅広いアメカジのジャンル内でも、威圧感の無いスタイルをしていることが多い。単車も手元にないし、バイカー系のスタイルもほとんどしないし、1年に2~3回くらいR&R系のスタイルをするくらいで、大概はスタンダードなアメリカンカジュアルスタイルか、ワーク系アメリカンカジュアルで過ごしている。・・であるので、服装による威圧感は無いと思われる。 ここで言う私の外観とは、体格や顔貌から周囲が決めつけるモノを指していることを、ご理解いただきたい。) 。
ただ、実際には確かに “はみ出し者” であるし、それを自覚しているだけではなく、そのことで苦労もしているからこそ (客観的数値に表せるわけもないのであるが) “はみ出し者” となるラインを知りたいと思うことはある。
そこで、 “閾値” と言う言葉を使わせてもらうことにしたのだ。
もちろん、私が色々な事象に対して、我慢の限界が来たらブログに書く・・・という事も、 “閾値” という言葉を使うことにした理由のひとつだ。
また、好きでやっているわけではない “はみ出し者” だが、周囲の人たちから勝手に嫌われて、 “厄介者” と言う意味で、 『はみ出し者』 と呼ばれることもある。
要するに、人と同じ行動をしていても、私は 『はみ出し者』 と呼ばれるし、時には “不必要な人間” 扱いも受けるわけだ (misfitではなく、black sheepといった感じかな・・・) 。
そういった嫌われ者の状態でも、何とか平和に暮らしていきたいとは願っているし、生きていこうと思っている。
つまり、 “生き地 (生きている空間、聖域、と言う様な感じかな・・) ” またにかけている。
更には、そういった嫌われ者の状態は、「生まれついての運命」 だという意味で “生き血” にも、かけてあるのだ。
余談だが、旧ブログのタイトルも、そう言った “聖域” の様な意味をも含めて付けた (旧ブログに関しては、当初はそうでもなかったのであるが、タイトルも気に入っていたので、いつか縫製関係だけに特化したブログとして復活させようかと思っていたりして・・・。その時は、こちらの縫製関係の記事はどうしようかと思案中・・・) 。
まあ、つまりは、
『オッサンはダジャレ(掛詞)が好き』
だということだ。
これまではそんなことは、全くなかったのであるが、
何故だか知らんが (これがオッサンというものなのか!?!) 、
ここ数年、掛詞ばかり思いつくのだ (笑) 。




