前回の投稿の続きである。
4日後、医師の説明を聞く為に病院に行った
(それが、12月1日投稿の【悪性黒色腫 (病気療養報告 その1)】の冒頭である。)。
医師によると、
①≪スピッツ母斑と呼ばれるモノに見えるが、調べると、その中にメラノーマの細胞が混っていた。≫
②≪混っていたと言っても、数は少ない。数えるほどだ。≫
③≪周りの組織に転移があるかも知れないので、大きく切除する。≫
④≪リンパ行性転移するとすれば、1つ目に転移するリンパ節があるので、そこを特定して同時に摘出する。≫
・・・との説明を受けた。
私は、
①については、『へぇ~、そういうこともあるんだ~。』
②については、『ソレ、安心させるためにいってるんだろうなぁ~。』
③については、『確か、衛星状に転移することがあるって話だったよな。そうだよな、「大きく更に切る」って言われた時点で、メラノーマだよなぁ~。あの時、薄々考えはしたんだけど、まさかなぁ・・・。』
④については、『まずは同位体の注射かぁ~、足底は痛てぇからなぁ~。嫌だなぁ。』
・・・と淡々と心の中で思った。
しかし、死にたくはなかった。
後悔だらけの人生を送って来たからだ。
他の子とは違うウチの子の行動のひとつひとつにイライラしてしまい、怒ってばかりのクソオヤジだし、
幼稚園のアホなママ友に言いたい放題言われても、『このアマ、いい加減にしとかんと泣かしてやるぞ!。』の一言も言えない“事なかれ主義”の毎日だし、
作りたいモノの1%もできていない。
そして、たくさんの友人たちから受けた恩を返してもいない。
何より、発達が不安定なウチの子に、今後の人生の要所要所でアドバイスをしなけりゃならない。
・・・私は、医師に
『わかりました。全てお任せします。どうか、宜しくお願い致します。』
・・と、言って、頭を下げた。
カミサンには、
『すまねぇ、メラノーマになんかなっちまってよぉ。』
・・とだけ、告げておいた。
次に親友のMに、
『死んだら、2人をよろしく頼む。オレの服のいくつかは、貰ってやってくれ。』
・・と伝えた。
その夜、今後の事を考えて、 『優先順位の低いモノを切り捨てたり、死後に家族が困らないようにせねばならない』 と思い、まずはヤフオクで売りさばこうと思っていたドロップアウト組の連中から集めた医学書 (←それもかなりの量だ!) を雑紙回収場に持って行くために、何往復もかけて車に積み込んだ。
その日はそんな感じだったのだが、次の日になってウチの子をお願いしている発達支援の教室の指導者さんと話していたら、子どもの今後のことがとても心配になってきて、涙が出てきた。
そこで、実際の自分の状態を正確に知ることで、
【覚悟を決めるか or 安心できるなら安心したい】 ・・と考え、
カルテと検査結果を見たいと思った。
そこで、この病院で働いているIさんに、
『すまねぇが、オレのカルテにアクセスして、検査結果を見てくれねーか?。できれば、その検査結果プリントアウトして欲しいんだけど。』
・・と、頼んでみた。
『私の患者さんじゃないからダメ。』・・・との答えが返ってきた。
『アシが残ることが気になるんだったら、上司に事情を説明して許可を取ってくれよ。』
・・・と、頼むと、
『上司にも言うし、正式な手続きも取った上で・・・』
・・・と、何とか了解してもらえた。
そして、翌日の夜、
『プリントアウトは、“するだけ無駄”って感じだった。私だって見ても何のことかわからないんだもん。ただね、細胞の数は、“数えるほど”・・みたいな書かれかただった。それと、摘出物は、“断面は癌細胞はない”・・みたいなことも書いてあった。つまり、1回目の摘出での取り残しは無いって事。衛星病巣は別として、本体は完全に取ったって事ね。とりあえずは、次のオペで、転移の可能性がある所を完全に取り除けば、かなりイイセン行ってるんじゃないかねぇ。・・・まあ、私、専門家じゃないからわかんないけどね。』
・・との、答えをもらった。
医師の言う 【数えるほど】 ・・が、細胞数10個なのか・・・、
それとも、例えば・・50個でも数えられる・・と言えば、数えられない事もない・・・
・・・・・というわけで、数十個なのかもしれないのでそれなりに不安ではあったが、Iさんからのこの報告で、私はかなりホッとした。
そして、最初の摘出の日、使用予定であった3mmのパンチを4mmに変更してくれたことに、とても感謝するのであった。
つづく
↓加藤木工さん、いいよね。小さな工場で、ちゃんと人が作ってる。↓
自分で作らない人は、キチンとモノ作ってる所で買い物しよう!。




