property="og:title" content="ページタイトル" /> property="og:image" content="画像URL" /> 2017年12月はみ出し者の閾値
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※未UPの原稿は依然としてあるが、とりあえずは報告である。その12※

前回の投稿の続きである。


『ああ、元に戻ったみたいだ。ああ、よかった。』
・・と、言うと、麻酔科医が、
『落ち着く薬、切れたみたいですね。大丈夫ですか?。
  もし、必要なら、また追加しますよ。』 ・・と、言ってくれた。
私は即座に断り、周りの状態を確認した。

IMGP4404.jpg


大きなモニターを見て、現在の状態を見た。
移植片を採取するために、メスで切除している所だった。
医療従事者としては、患者が不安にならないように、
患者自身が見ることを避けたい所なのかもしれない。
『○○さん(私)、見ても大丈夫ですか?。気分悪くならないですか?。』
・・との麻酔科医の問いに、
『さあ・・、自分のなら大丈夫だと思うけど・・。』
・・と、私は答える。
学生の時、さんざん手術のビデオですら倒れそうになったくせに、
自分のなら見れそうな気がした。

しかし、・・・・
学生さんがモニターの前にいたりして、見えなくなることもしばしばあり、
そのうちに 【もうどうでもよくなってきた感】 が、私の心の中を支配し始めた
(オバカだと思うのだが、神経質な割には、
  こんな部分も合わせ持っているから、生きていられるのだと思う。) 。
更には、麻酔科医の気さくな人柄が、すごく心地よくて、
おしゃべりに夢中になり・・・・
気が付くと、最後に仕上げに移植部を押し付けている所であった・・・ (笑) 。

麻酔が効いていて、何も感じないのであるが、圧覚だけは少しはあるようで、
『なんか、すごい力で押し付けているんだろうな・・。』
・・と、思った (モニターは、学生さんで見えなかった。) 。

懸命に手術をしてくれた主治医を始めとするスタッフには、
申し訳ないとは思ったが、私は沢山おしゃべりをして (大笑)
十分に良い時間を過ごせた。

後日、数人の医療従事者から、
『え~っ、オペ中、ずっとしゃべってたの?!。
それ、ホントに!。そんな人〇〇〇くん(私)だけだよ!。』

とか、
『さすが、口から生まれた男だね。』
  ・・・とか、言われたけど・・・。

手術終了後に、バルーンカテーテルを入れられたチ〇チ〇が、まるで死体のチ〇チ〇
(はるか昔、学生時代に解剖の実習で見たアノ色だ!) のように変色していたのが、
すごく気になったが、「どうかチ〇チ〇が、壊死していませんように・・・。」
・・と、祈ることしかできなかった。

最後のストレッチャーへの移乗時に、気になっていた運を確認したが、手術台に敷いたシートはまっさらで、運が漏れた形跡はなかったので、安堵した。



つづく






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2017.12/24 Sun 01:34|未分類 (あれこれ)||トラックバック(0)TOP↑
※未UPの原稿は依然としてあるが、とりあえずは報告である。その11※

前回の投稿の続きである。


病室は、個室ではなかったが、手術前は動けるので、翌日の手術に向けての緊張はあったが、就寝できた。
いつも通り5:00に起きて、(家とは違って) やることもないので髭を剃り、髪を梳かして結い直し、歯を磨いた。
手術日当日は、朝食は無しで、手術前に排便を済ませることになっているのであるが、全く出そうになかった。
個室ではなかったので、トイレを占領するわけにもいかないので、5:30頃から水分をかなり取っていたにもかかわらず、7:00を過ぎても出る気配はなかった。
途中、看護師や主治医が来て、『出なくても大丈夫。』・・と、言ってくれるのであるが、手術中に麻酔下で勝手に出るのだけは、どうしてもイヤだった。
同室の人たちが起床する前は逃してしまったが、起床後のトイレが終わったことを確認して、朝食の前に済ましてしまおうとトイレに入る。
・・・この気質の私である。当然のことながら、出そうにない。
気を落ち着けて、トイレの中に設置してある検尿カップに、トイレの中の水道で水を汲み、ガブ飲みした。
ほとんど出なかった。
主治医に告げると、『大丈夫、気にしなくていい。』・・と、言うのだが、
絶対に気になるよ!。
出てしまったら、なんだかイヤだし・・。

仕方がないので、あきらめることにして、病衣に着替えた。
前日に売店で買ってきたT字帯 (ふんどし) を付ける。


時間になって、そのままストレッチャーで手術室に移動した。
運が出なかったので、手術台にシートを敷いてもらった。

まずは、麻酔だ。前回書いたヤツだ。
腰椎穿刺、文字通り腰の部分の椎骨の所 (椎骨と椎骨の間の隙間) に、針を刺す。その為に側臥位になる。
・・で、服を脱がされて・・・・・

看護師が、驚いたように言う
『結び目が無い!』
即座に私は理解した・・・なんだ、そういう事だったのか!。
『あ~、ごめんなさい。後ろで縛っちゃった。』

なんだか、のっけから可笑しくて可笑しくて、私は笑っていた。
『私は、毎度毎度ラッキーな男である。』
・・と、つくづくと思う。
手術の最初に、こんなことがあって、笑いが止まらなくなって、緊張なんて無くなってしまった。



麻酔が効いてきて、チ〇チ〇の辺りから感覚が無くなっていった。
胸部にカーテンが掛けられ、私からは見えないのであるが、尿道にカテーテルが入れられる。いつ入れられたのかは、感覚が無いので全く分からない。 ・・・と、言う訳で、怖いのは手術後のカテーテル抜去の時だ。

どんどん、感覚のない所が広がって行く。
冷たいのを当てられて、麻酔の効きを確認される。
胸のあたりまで感覚が無くなって行く。

2秒くらい、皆がびっくりしてたことと、
『取り出すリンパ節の所、毛大きく剃るよ。』
・・と言われたのは覚えている。

IMGP4401.jpg



覚えているのはこれくらい・・・。
何だか、声を出すのも億劫になってきたのだ。
「オカシイな、コレ、・・・ああ、クスリが入ったんだな・・・。」 
・・・とは思ったものの、
麻酔科医の 『気分は大丈夫ですか?』 ・・との問いかけにも、
微かにしか声が出ない。
小さな声で、『なんか・・なんか・・・』 ・・と言う私に、麻酔科医が
『気分を落ち着ける薬が入っています。』 ・・と言う。
私は、『あ、・・そうか・・・。あの・・・ソレ、これ以上は、・・無しで・・・。』 ・・と言うのが精一杯だった。

肉が焼けるような臭いの中 (電気メス or レーザーメスを使っているので) 、 何度も気分を尋ねられたが、感じるままに
『だ・・大丈夫。』 とか、『う・・ん・・、あ・・温かくて、フワフワしてる・・。』 
・・・・・と何度も言った・・・と思う。


しかし、しばらくすると、意識がクリアーに戻ってくる。



つづく




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2017.12/12 Tue 05:43|未分類 (あれこれ)||トラックバック(0)TOP↑
※未UPの原稿は依然としてあるが、とりあえずは報告である。その10※

前回の投稿の続きである。

IMGP4420.jpg


入院・手術にあたって一番の不安は、麻酔であった。

前回の投稿でも書いたが、麻酔で動けない身体・・・つまり攻撃を防げない状態・・になることが怖かったのだ。
【男は敷居を跨げば七人の敵あり】・・と言う言葉があるが、
私はこれまでの人生の経験から、
『オレには、敷居を跨げば100人の敵あり』
・・と、常々言っている。
これまでの経験から、人を信用していない私である。
手術での一番の不安は、動けないこの状態のことだったのだ。

しかし、もう一つ相反する不安もあった。

『感覚フィードバックが無い・・と言うことは、随意運動ができなくなるハズ・・』
・・と言うのは、知識としてわかってはいても、
『神経線維は繋がっているのであるから、実際には動かせるのではないか?。』
・・と思ったのだ。
そして、 【いらないいたずら心】 が働いて、大事な時に動かしてしまうかも?
・・・と思ったのだ。
私はいつも、歯医者での診療の際、現時点での自分の歯の状態を知るために、どうしても舌で触ってみたくなるのをガマンしている・・・。
・・・あの、自分の行動を抑えようと努力するガマンの状態が続くとすれば苦痛だ・・・それがもう一つの不安だったのだ。
そこで、腰椎麻酔を経験したカミサンに尋ねてみた・・。
『「動かそう」だなんて、そんな事・・考えの欠片もよぎらなかった。・・いつもそんな事思ってしまうの?!。』
『感覚フィードバックが無いのに、普通は動かせないんじゃないかなぁ?。学校で勉強してきたんでしょ?。』
・・・と呆れられた。
私自身も、我ながら自分の神経質加減に半ば呆れてはいたのであるが、こればかりは自己の持つ気質であって、今後もその気質を持ったまま生きていくことが私の人生なのだ。

仕方がないので、手術説明に当たった手術部の看護師や麻酔科の医師、執刀医にも、
『馬鹿げた質問だとは思うが、・・・』 ・・と、前置きした上で尋ねた。
どの人も、 『いや、動かないと思いますよ。』 、 『動くかなぁ?、動かせないと思うけどなぁ・・。』 、 『動かせませんよ・・たぶん・・。』 、 『いやぁ、無理じゃないかな。』 ・・と言った反応であった (どの人も、こんなバカげたことは、考えたことすらないのだ。笑) 。

・・・と、言う訳で、手術が始まって、麻酔の効きを確認している時に、執刀医に 『動かしてみて?どう?、やっぱり無理じゃない?。』 ・・と言われ、動かないことを確認して、私は 『動かんわ。よかったぁ~。』 ・・と言って、笑っていた。


麻酔の注射は、 【腰椎穿刺】 と言って、背中の腰のあたりに打つのであるが、丁度第3腰椎と第4腰椎の間・・だったと思う (・・ガッコやめて10年も経ってるので、覚えた知識もそうだが、ヤコビー’sラインの綴りすら思い出せんわ。・・難しいつづりの単語ではなくたかが人名なのに・・。苦笑) が、そこに針を刺すので、第2腰椎の高さ位で終わっている脊髄を損傷することはない・・とされている (・・だったと思う・・。苦笑) 。
・・で、丁度、その辺りの神経の支配する領域から、感覚が麻痺していく・・・とは言っても、「徐々に」ではない。あっと言う間に、全身に広がって行く。
腹部から下腿のあたりまではすぐに感覚が無くなった。足部はほんの少し表在感覚が残った感じがあったが、しばらく待つと全く感じなくなった。

術後は、胸から下が全く感覚が無い状態から、少しずつ感覚が戻ってくる。
戻ってくる時間に左右さがあったのが、面白かった。
術後、病室に来た麻酔科医の話では、麻酔薬は重く、側臥位での麻酔薬の注入なので、左右差が出る・・・との事 (「成程~。」・・と、えらく感心した。) 。


で、麻酔の効いている間、筋は弛緩状態なので、重力に任せてベッドとの接地部に圧力がかかり続ける。
そのため接地部分の血流が悪くなる。
感覚も無いし、そもそも動かせないので、血流阻害状態の改善は全く期待できない。
・・と言う訳で、 【褥瘡 (いわゆる床擦れ) 】 もできやすいのであるが、短時間なのでそれほど心配はない (・・とは言え、手術に3時間余り。更に、術後数時間は脚の感覚が無かった。かなり長かった。) 。

この麻酔下の状態では、むしろ、心配なのは、 【エコノミークラス症候群】 である。
これは、静脈の中に血栓ができる・・つまり血の塊ができ、それが血管を詰まらせてしまう・・・という状態だ。
コイツが血管の中を流れて、肺の血管を詰まらせてしまうと、 【肺塞栓症】 ・・肺によるガス交換ができない状態になる訳である。
これを予防するために、弾性ストッキングを履くのであるが、私はアレの効果は全くないと思っている。
血管にとって効果がある圧力は、個人によって違うはず。しかも、個人の脚のサイズだって、皮下脂肪の厚さだってバラバラだ。
それを、あんな万人向けに作られた量産品のストッキング (サイズがあると言っても、せいぜい数種類。しかも、太さサイズのみ。) で、患者全員がプラス効果のみを得られる・・・なんて、オカシクないか?。
まあ、何か身体の様子がおかしいと感じたら、ナースコールをすればすぐに対応してくれる・・・そのために入院しているのだから。
そのため私は、術後は、麻酔がかなり切れてくるまで、できるだけ寝ないように心掛けた。
しかし、動きの取れない身では、かなりヒマなので、実際にはウトウトしていた (私の精神力など、この程度のもんだ・・。) 。

先にも書いたが、麻酔科医曰く、『麻酔薬は重いため左右差が出る。』。
しかし、その重さ故に、それだけでなく、最初に麻酔が効きだした部分は、最後に麻酔の切れる部分である・・・ということを実感する (次回に書きます。) 。


つづく





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2017.12/10 Sun 02:08|未分類 (あれこれ)||トラックバック(0)TOP↑
※未UPの原稿は依然としてあるが、とりあえずは報告である。その9※

前回の投稿の続きである。


いよいよ入院である。
手術日の前日に入院し、
入院直後の午前中に放射線同位体を摘出部に注入する。
数カ所に分けて注射するのだが、もちろん痛い。
シンチグラフィーを行うのだ。

わかりやすく説明したい・・・とは思うが、
如何せん私の文章だ・・・自信は無い (以下) 。

まず、リンパについて。体液が流れている管である。
身体の中の管は、血管だけではないのだ
(私も、学生になった時に初めて知って、ビックリした。) 。

癌細胞がリンパ管を通って転移することを、 【リンパ行性転移】 と言うのだが、
このリンパ管というルートを通ると、
リンパ管の所々にあるリンパ節という、休憩所みたいな所に癌細胞は転移する。

癌の発生した場所から、近くのリンパ管に癌細胞が乗ると、
まず1つ目に転移するリンパ節があるのだが、
それがどのリンパ節なのかを特定して、
そこを切除するのが、
今回のタイトルにある 【センチネルリンパ節切除術】 だ・・そうだ。

それを、腫瘍の (私の場合は、腫瘍のあった部分の周りの皮膚) 切除と
同時に行うのだ。

その特定に使うのが、放射線同位体である
(同位体については、またの機会に・・。
原子の世界の話がわかれば、原発のことなどは、すんなりと理解できるよ。) 。

午前中に注射した放射線同位体がどこに集まっているかを、夕方に特定した。
私の場合は、鼠径リンパ節であった。


実は、手術も終わっている今現在、ほんの少~しだけ不安が残っていることがある。
この部分にはリンパ節が幾つかあるのだが、
『果たして摘出したモノが、本当に1つ目に転移するリンパ節だったのかどうか?。』
・・・・が、心配なのだ。

夕方に部位を特定した時と、夜に病室でポータブル測定器で部位を確かめた時は、
ビミョーに場所が違ったからなのだ。
だが、オペの時もポータブル測定器で再度位置を確かめてから
メスを入れていた (そこは覚えているのだが、その後が思い出せない・・・。) し、
たぶん大丈夫だとは思うのだ。

しかし、私はオペ中に麻酔科医と楽しく話しながら、
モニターを見ていたのであるが、あまりにもおしゃべりに夢中だった (笑) ことと、
最初に入っていた鎮静剤の為に丁度その頃は、
あまりしっかりとした意識ではなかったことも相まって、私自身が確認を怠ったのだ。

たぶん、取り出したリンパ節にも、測定器を当てて確かめていたとは思うけど・・・。
・・・疑い深い私は、自分の目で確かめないと気が済まないのだ。

カミサンは、↑このこと↑を聞いて、
 『そんな事を気にしてたの!・・癌ができるわけだわ・・。』
  ・・と、呆れていた・・・。


ついでに言うと、時折、学生さんがモニターの前に居て、
私からモニターが見えなくなった時に、
モニターの前にいる学生さんに、『オレにもモニター見せてくれ。』
・・って、言えばよかったのか?。

Iさんは、『「学生さん、モニター見えないからどいて」・・って、
言えばよかったのに。』 ・・・などと私に言ったが、
麻酔で動けない身体・・・つまり攻撃を防げない状態のまま、
人と接しているだけでも私には不安だったので、
そんな生意気そうなことを言えるハズがない。

・・・・これまでの人生の経験から、人を信用していない私。
そんな私にとって、今回の入院での一番の不安とは、
まさにこの麻酔下での自分自身の状態のことだったのだ
(次回はこのことについて) 。


つづく







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2017.12/09 Sat 01:12|未分類 (あれこれ)||トラックバック(0)TOP↑
※未UPの原稿は依然としてあるが、とりあえずは報告である。その7※

前回の投稿の続きである。


入院までは2週間あったのだが、医師の説明を聞いたすぐ後から、
胸部X-p・採血・心電図を受け、それから数日の間に、
体幹CT・入院説明などのため、病院に足を運んだ。


入院にあたって、家の中の身辺整理をしなければならなかったが、
ドロップアウト組の同級生たちから集めた医学書をリサイクルに出しただけで、
残りは日々の家事に追われ、わずかにミシン作業台の周りを片付けたことと、
手術後にはできそうもない枝打ちをしたのみに留まった。


また、もう一つ入院前に私が整理をしておきたかった件があった。

初夏に、某労働組合に私が情報をリークしたことを発端に始まっていた
某職場と某組合との交渉。
その某職場の管理職が堂々と犯人捜しを始めた
(組合に直接尋ねてきたらしい。恥知らずめ。) のだ。
そこで、組合は、
『(私と言う)部外者からの情報をもらったために、
数人の当該部署の職員に確認した所、本当の話だった為に、
組合が交渉に乗り出したのです。』
・・と言ってくれれば、誰もパワハラ対象者にならずに済むのに、
それを言わなかったらしい (要するに、ケンカ慣れしていないのだ。) 。

そこで、私はたまたまその管理職の所へ堂々と行ける
ある条件を手に入れたため、堂々と乗り込んでいって、
『組合にリークしたのは、組合に交渉人として雇ってもらおうと思っているオレだゼ。オレが組合に雇ってもらった暁には、□〇□さん時みたいな明らかなパワハラによる雇い止めを認めさせねーから、覚悟しろや。』
・・・と、言って、この件の手を打とうと思っていたのである。

しかし、医師からの電話の数日前に、
私の行動を何故か予見したカミサンによって、
すごい剣幕で反対にあったため、私はその行動を中止した。

・・・・・・・と言う、すご~くメンドウな一件があった。
しかし、それに関しても何一つ手を打つことができずに、
入院の日を迎えてしまった (最初の手より数段劣るものの、
入院中にひとつ手は打った。これで、足りないければ、
もう2つほど打つ手は持っている。)  
(・・・ったくよぉー、組合も3年前のあの時に、オレを雇ってくれればよかったんだ
・・ってんだ。時給50円でいいって言ってんのによぉ~。)。
・・・おっと、また話が脱線した・・。それも、大きく・・
(大笑。わかる人にしかわからない話題ですみません。) 。



更には、入院にあたって、もう一つスゴイ難問があった。
子どものことである。
△△市に、親戚も何も縁者はいない。したがって、支援は受けられない。

まず、幼稚園は、9:00から始まり、14:00過ぎに終わるのである。
通常であれば、8:40くらいから子どもの受け入れが始まり、
14:30にはお迎えに行かねばならない。
そのためには、少なくとも8:40からカミサンが幼稚園とは逆方向の職場に向かって
出勤し、それから仕事にかかるように、
遅い出勤をカミサンの職場に申請しなければならなかった。

また、少し前から始まった幼稚園の延長保育。これまでは遠慮してきたのであるが、
この延長保育をフルに活用することにすることにして、その最終時刻が16:30・・・
つまり、その時間に間に合うように、
カミサンが早退することも職場に申請しなければならない
(この国では、子どもがいると働けないんだなぁ~・・と実感するよ。
延長保育も、無い日があるし・・、カミサンに休みを取ってもらうしかなかった。) 。

家から幼稚園までは8kmだが、朝夕は中心部を通るため渋滞する。
家から職場までは5kmだが、渋滞はない。
幼稚園から職場までは12km、中心部を通るため渋滞する。
・・・・この条件に加え、ウチの子なりの困った条件が重なる。

まず、8:40に幼稚園に着くためには、家を8:00前には出なければならない。
しかも、そのためには、何故か着替えに40分・食事に1時間かかる
(それも、1分おきに声をかけても、な~んにも進まない!。
私に怒鳴られて、やっとやるのだ。) ウチの子を如何に動かすのか?・・・
・・・と言う、超難問がある。。
・・・カミサンの出した答えは、
【食べないのならすぐに切り上げる。子どもがそれで怒っても相手にしない。】
【着替えも完全に親の手でやる。】
【カバンの支度も完全に親の手でする。】
・・・であった。

16:30にお迎えに行くためには、職場を15:40には出なければならない。
しかも、着替えなどもあるし、駐車場までの移動距離もある。
カミサンの過労が、心配された。

更には、帰宅してからは、子どもを風呂に入れ、食事を作って食べさせ、寝かしつける。
自分でそれなりに自分のことをやろうとする普通の子どもであればまだマシなのだが、
何~んにもやろうとしないウチの子なのだ。
カミサンが大変なのは見なくとも明らかであった。

そして、子どもが寝た後、残った洗濯や炊事などの家事も全てやるのだ。

私は、このことがすごく心配であった。


つづく






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2017.12/07 Thu 05:27|未分類 (あれこれ)||トラックバック(0)TOP↑
プロフィール

DANGER MELON 

Author:DANGER MELON 
はみ出し者と言われ続けて30数年の某県△△市在住197?年生まれ自称39歳の専業主夫。

履歴:高校在学中に無認可障害者施設開所運動に関わり、高校卒業と同時に開所。以後数年間施設職員。それ以後は仕事も無くアルバイト+他で何とか食い繋ぐ。医療職を目指し齢31で進学、6年次に難癖付けられて退学。以後専業主夫。

思想:平和と民主主義を望む。足元はブーツのみ。セーターとポロシャツは着ない主義。

嫌いなモノ:差別、キノコ、弱い者イジメ。

好きなモノ:お肉、他多数。書ききれません。当ブログ内で少しづつ紹介していきます。

過去の日付の遅延投稿 ならびに 最新追記 については、カテゴリー【おしらせ】をお読み下さい。友人の皆さんへのメッセージもあります。リンクについての記述もございます。 


※限定公開記事のパスワードは、連絡が取れる方は本人にご確認下さい。

※文書および画像の無断転載、また日記的出来事のエピソードの流用を禁じます。それらを発見した時は、法的措置を取らせていただきます。

※但し、政治屋批判の画像に関しては、遠慮なくご自由にお使いください。断りも入れなくて結構です。

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