別に、小・中学校や、高校なんて、何とも思っていないし、過去の出来事にとらわれている訳でもない
(多少なりともとらわれている・・とすれば、31歳から6年間 (正確には、5年と2カ月) 行ったガッコの事だろう・・。大笑) 。
だが、今現在学校に行っているひとたち・・・・自分の子どもや、甥や姪だけではなく、今の若い人たちや子どもたちには、こういう事は伝えたいと思う (自分の子には、伝えねばならないと思っている。) 。
『群れると損をするかもよ!。』 ・・・と。ちょうど9月だ。
9月の頭って、夏休みが終わることで、 【学校に行く】 ・・って言うすごい憂鬱な事が始まる時期なんだよね。
やられないと解らない人が多いが、私は解っているつもりだ。
【学校も、教師も、クラスのヤツらも、誰も助けてはくれない。】
【自分を守れるのは、自分だけ。】
・・と。
若い子たちには言いたい。
『行けないんだったら、学校なんざ 行かなくてもいいよ。』
『絶対に死んではいけない。君が死んでも、ヤツらは笑うだけだ。』
『死ぬくらいなら、逃げればいいよ。逃げることは悪いことじゃない。』
・・・と。
ずっと はみ出し者 だった私なので、さんざんイヤな目には遭ってきたし、9月は毎年苦痛であった。
そして、私にもこんな9月の経験がある (以下:
黄緑色字) 。
中学2年の夏休みの時だった。
【 『2学期に入ったら、毎日殴ってやる。』 ・・って、Nが言ってる。】
・・と言う噂を、当時ツルんでいたRが知らせてきた。
覚悟はしていたが、9月から、12月の初頭まで、毎朝の始業前と毎休み時間に校舎の裏に呼び出されて、一日も休まず殴られ続けた。
夏休みの最終日もツルんでいたRは、2学期が始まると、初日から私とはツルまなくなって、それどころか、ひとことも話もしなくなった。私が、 『人間なんてこんなモンだ。』 ・・と学んだ たくさんの出来事の中でも、この事は大きな位置を占めている。
先日読んだ記事の話です。
漫画家の蛭子能収さんという方が、
【「ひとりぼっちでもいい」いじめられていた蛭子能収さんが語る真の友 「群れて得するのは力の強い人だけ」】
・・というタイトル (このタイトルは Yahoo JAPAN ニュースのタイトル) の記事で、取材をされた内容に、私は、
『オレも、経験から、その通りだと思う。』 ・・と、感じたので、紹介します。
(参考:
「ひとりぼっちでもいい」 蛭子さんが語る真の友達とは:withnews:小池 寛木.2018年08月29日)
(参考:
「仲間外れにしてほしかった」 蛭子さんが群れなかった理由:withnews:小池 寛木.2018年08月30日)
本文を載せておきます( 以下の
青字部分:Yahoo JAPAN ニュース の同記事より引用)。
全部読めなくてもいいです、これだけ覚えておいて
【蛭子能収さんのメッセージ】
・無理して人に合わせるのはつらい。ひとりぼっちでもいい
・学校やクラスなど環境が変われば、いじめはなくなります
・微動だにせず、好きなことをしよう
――中学時代にいじめを受けていたと聞きました
中学2年生の時に、不良グループからいじめを受けていました。グループの下っ端扱いされて、後片付けを頼まれたり、カバン持ちをさせられたりしていました。
――抵抗はしないのですか
しないです。「俺は絶対負ける」っていう自信があったんですよ。情けないんですけど。殴られるってことが一番嫌でしたね。ただ、「なんばすっとかー!」って言うくらいの抵抗でした。だから、面白がっていじめてたんじゃないですかね。
――周囲の人たちは助けてくれないんですか
先生がなんで救ってくれないんだって思いはありました。先生だったら、生徒の様子を見ててわかりそうなものじゃないですか。もう学校を辞めたいくらい嫌でした。
――その頃、家ではどう過ごしていましたか
家に帰ると、好きだった漫画をひたすら描いていました。いじめを受けた悔しさを絵にぶつけていました。自分をいじめた人をひそかに「敵役」にして、めちゃくちゃ倒す、というようなものを描いていましたね。
――高校に行って環境は変わりましたか
高校で美術部に入ってから、学校に行くのがすごく楽しくなりました。一人で黙々と、絵を描くだけというだけなんですけど、それが静かで平和で、すごくいいなあって。自分には合っていましたね。
学校やクラスなど環境が変われば、いじめはなくなります。俺はそれまで我慢しました。
――当時、友達はいなかったんですか
俺ね、友達をつくるのがすごく苦手だったんですよ。無理して他人に合わせていると、気持ちが疲れてきますから。学生時代はほとんど一人で過ごしていました。
友達はいい場合もあるけれど、悪い場合をひいたらそこから抜けられなくなって、恐ろしいことになります。変な友達を作ると、その人から逃れられなくなります。
地獄のような目に遭いたくなければ、友達をつくらないほうがましです。それは俺、はっきり言えます。
友達をもしつくるんだったら、深く付き合わないことですね。広く浅く。何人もいる友達の中の一人、そういう感じで接したほうがいいです。
――深い付き合いができる親友は必要ないですか
深く付き合うのはやめたほうがいいと思う。一人と長く付き合うと、その人の性格がだんだんわかってくるに従って嫌になってくるので。いつでもその人から逃げられるような、離れられるような感じの友達だったらいいと思います。
――それは友達と呼べるのでしょうか……。距離感が大事ということですか
性格とか見抜けない間は、あまり深い付き合いはしないほうがいいですよ。中学生くらいはわからないんですね。高校くらいになって、やっと相手の性格がわかってくるものです。
この人は絶対安全だと、分かってきた時に、ちゃんとした友達をつくればいい。付き合っていても割とさらっとしているし、いさかいもなく平和的に付き合いをやめることができそうなら。
――なぜそこまで友達に警戒するのですか
そうしないと、すごい疲れることになるし、つらい思いをすることになります。友達に気を使うあまり、だんだん自分が疲れてきますから。
誘われても断ることができる。そういう人こそが「真の友達」だと俺は思う。あいつに誘われて仕方なく行くかという感じだと、どこか操られています。
悪い人なら一緒に悪いことを働かざるを得なくなる。本当、友達っていいようであって「毒」があります。
――「毒」ですか
最初友達だと思っても、相手の性格をきちんとわかっていないもの。だんだん、横柄になってくる人がいるから。
俺が命令されるほうだったので。だいたい、いつの間にか「蛭子、あれ買ってきて」みたいな関係になっています。
きょう映画を見に行こうかなと思っていたら、友達から電話がかかってきて「きょうは野球をするよ」。ガクってくるじゃないですか。友達は、自由を奪う存在にもなります。
――いつの間にか主従関係できてしまうと
そしたら、少しずつ遠ざかっていったほうがいいですよね。急に態度を変えるのは変だから、ゆっくりゆっくり離れていく。10代のころは誘われても断れず、どんどんその人に付きあうんですよね。落ちていくというか、変なことになっていく可能性がある。気をつけたほうがいいです。
――蛭子さんの「友達論」。10代の共感は得られますか
誰でも彼でも友達さえつくればいいんだよ、という考えはないです。無理して人に合わして生きるのは、本当につらい。ひとりぼっちでもいいんですよ。それを広めていければいいですね。
――学校の友達グループは、蛭子さんにとってどういうものですか
そういうグループの中に入って活動するのは、俺は好きではないです。無理して人に合わせて、その中にとどまっているほうが、後々窮屈な思いをすると思います。
――嫌になったきっかけはありますか
中学時代のいじめを受けたことが大きいです。「蛭子、来いよ」って、不良グループからよく誘われました。だいたい俺が手下みたいにいろいろ買ってくるとか、使い走りでした。
行っても全然おもしろいことないんですよ。行かないと呼び出しくらって殴られるんですよね。
――学校では仲良しグループができます。仲間外れを怖がる人もいます
俺はむしろ、仲間外れにしてほしいって思っていました。群れないほうがいいに決まっていますよ。
――それはどうしてですか
グループとか群れでは、強そうな人が一番上になります。大将格か、家来格か、そういう風に分かれていくもの。得するのは命令する立場になる力の強い人ですね。自分の性格はだいたい命令されるほうでした。
俺は一番下っ端の使い走りなのに、先生から真っ先に怒られていました。よく教室で立たされていましたね。本当、この学校を辞めたいと思っていました。
――今は、スマホなどのSNS上でグループができて、そこでいじめられることもあります
俺ね、そこからはじかれたほうがいいと思っているの。今はネットでやり取りするので、すごい簡単に呼ばれると思うんですけど、あまりそれに乗っかるとね。グループから離れられなくなるのは本当につらいと思う。
もし、そのグループのリーダーみたいな人の言うとおりについていくようなグループだったら、即刻抜けたほうがいいと思う。一人でさびしくても、そのほうがましです。
――もし自分が抜け出したいグループにいたら、どうしますか。ひとりぼっちは勇気がいることです
たしかに、勇気がいります。だけども、この人のいうままに動かされているって察知したら、断ってほしい。
窮屈だと思ったら早め早めに抜けたほうがいい。離れたいんだということを、少しずつ行動で示しておいたほうがいいです。「僕は今日はいけない」って、2日にいっぺんとかやって少しずつね。そしたらあいつはダメだと仲間が勝手に思ってくれます。
――居心地のいいグループもあるのではないですか。主従関係が強くなく、趣味で結びついているとか
趣味で合うグループならいいですね。(自分が好きな)絵を描くグループとかなら。
でも、そういうのがね、ないんですよ。こっぱずかしいじゃないですか。絵を描くグループって。馬鹿にされるかもしれないですね。ちょっと強いグループからさ。
でもね、そう思われても微動だにせず、絵を描いておけばいいんですよ。俺はそうでした。
――蛭子さんのひとりぼっちの哲学は、いつ育まれたのですか
性格ですね。自分自身、我慢強いと思います。嫌なことも割とずっとやるタイプでした。いじめられながらも学校に通い続け、高校卒業後に看板屋に就職した時も嫌だ嫌だと思いながら続けていました。それがよかったかどうか、自分でもわからないですけどね。
とにかく俺は自由なほうがいいな。苦しい思いをしてまで、人に合わすことはないんですよ。
(以下は、略しました。)
別に私は、
蛭子さんとは違い、 『仲間外れにしてほしかった』 事などは無いし、
【自分から一人を選ぶような行動をとった】 訳では無いが、
私に与えられた “はみ出し者” と言う運命なのか、自然に独りになっていた。
そんな私でも、幼い頃は多少なりともグループに誘われることはあった。
だが、小学校3年生の終わりには、蛭子さんも言っているような、
『悪い奴と同じグループだと、断れなくなる。』
とか、
『合わせなければならないのは、つらい。』
・・などと言うことは解ってしまい、
それに加えて、自分の持つ、『曲がったことはやらない。』 とか、『合わせられない。』
・・という性格を元に、誘われたグループからも距離を置かれたし、自分でもやんわりと離れた。
(距離の置き方は、蛭子さんが語っている通りで、それしか上手く距離を置く方法は無いように思われる。)
(私の場合は、積極的にグループに入ろうとしても、何だか場違いな雰囲気が漂っている感じもしたし、所詮何もしなくともひとりなのだと考えている。)
心を許すのは、蛭子さんも言っているように、 『この人なら絶対に安全だ。』 ・・とわかってからでいいのです (・・と言うか、それからでないと、痛い目に遭う。) 。
まあ、とにかく、
若い人には無理をしないでほしいと思う。虐げている奴らが悪いのに決まってんのに、
虐げられる側ばかりが損することはないよ。
