※※おことわり※※
本稿は、2020年3月25日に書いたまま、UP せずに放置していた原稿です。
世の中がそのことを騒いでいる時に、UP する気はありませんでした
(UP日より前の、2021年1月30日付の追記があるのは、そのためです。) 。
死刑廃止論も、死刑制度肯定論も、どちらも批判する気はありません。
ただただ、多くの人の中に、死刑制度の 【肯定】 も 【廃止】 も、
どちらの気持ちもあるのではないか?・・・と、思うのです
(良心の欠落してる人の中には、廃止はないと思うけど・・。) 。
ですから、その是非について、議論をする気はありません。
ただ、この件 および 死刑の是非 を考える前に、
そのどちらの気持ちも、『あなたの中にも、存在している (かも) 』 ということを、
多くの人に感じていただきたいと思い、
本文の冒頭の 『先日』 を削除し、
そのかわりに、『去年の今日』 を加え、本稿を UP します。
珍しく、コメント欄を解放しておりますが、コメント欄を
どちらかの意見の押しつけの場 や 議論をする場
にするつもりはございません。
そのあたりをご理解できる方のみ、コメントを歓迎します
(・・って、とても難しいですね・・・。) 。
《以下:本文》
去年の今日 (3月16日) 、あの植松被告が死刑を言い渡された。
私は、 『死刑に関しては、反対も賛成も、どちらも言えない・・。』 ・・
・・・と言うことしかできない。
単純に考えると、死刑は 人を犯罪から回避させる効果があるような気はする
が、実際に私が見てきた 多くの悪い奴は、そんなことは考えてはいないようであった。もちろん、中には、死刑を恐れているような者もいたが、
そういうヤツは、【完全に自分に罪が被らない方法を考えて実行する】、
悪知恵だけは 息を吐くように生み出すことができる 悪魔だった。・・・だから、私は、
『死刑があることが、犯罪の抑止力にはなってはいない。』 ・・と思う。
カーチス・ルメイ は、報復の核攻撃のことを十分に認識していながら、
キューバ空爆の先制攻撃を主張し続けたと言うではないか・・・。
犯罪を犯すものは、そういうモノだと思う (自分の命に危険が及んでも、
何らかの理由を付けて、他人を攻撃せねばならない 人間・・と言うことだ。) 。
植松が施設を襲撃した事件が起きた時、私は憤って、
『ハタチのオレがやってた施設に襲撃に来てくれてたら、
こんなクソガキ 返り討ちにしてぶっ殺してやってたのに・・・。』
・・などと、言っていたが、
実際にそんなことが20歳の頃の私の身に起きたら、
『待て、ちょっとオレと話そう。』 ・・と言って、
20歳の頃の私は刺されても、説得を続けたと思う
(1度までなら刺されても説得を続けたと思う。但し、2度目はブチキレて、
相手の手や足を折ってしまっているとは思うが・・・。当時の私は、
すごい筋力だったし・・。) 。
・・つまり、人の命の大切さはもちろんだが、人の心の変化の可能性を
20歳頃の私は、心から信じていたハズだ (今と違って・・・。) 。
あの頃の私のように、『話せば、きっと変えられる。』 ・・・・と、
そんな風に思っている人たちが、植松と面会をし続けたのだと思う
(偉いと思う。) 。
では、今の私は、『あんなヤツ、死刑で、サッサと地獄に送ればいい。』
・・と、思っているのか?・・・と言うと、実はそうで
もない。
・・ただ、その気持ちは、よくわかる。
自分の周囲に、あんな悲惨な事件が起こることを、みんなが恐れているのだ。
その “恐れ” の気持ちが、「死刑を肯定する」 主張になっているのだと思う。つまり、私は死刑廃止論者ではない。
但し、死刑を肯定もできないのだ。
だって、誰かが手を汚さねばならない。
・・・それって、植松の思想そのものだ。
それに、冤罪だったらどうする? (植松は冤罪ではないけれど。) 。
・・と、言う訳で、私は死刑を肯定もできない。
・・って書くと、
『テメー、自分の家族が被害に遭っても、そんな事言えんのかよ!。』
・・とか、言って、責める人いるよね。
・・・でもよ、そうできる偉い人も沢山いるよ。
私も知ってる、すごく真面目な人を。何人も。
私はこれまでに、他人の悪意に沢山曝されてきた。
ブログのタイトルの 【はみ出し者の閾値】 が示すように
(タイトルの意味は、2013年5月3日の投稿
【タイトル(オッサンは・・)】に書いた。)
カッコつけて自らを 『はみ出し者』 ・・と名乗っている世の中の大勢のように
ぬるい経験しかしたことのない (あるいは、全く経験のない) 人間ではない。
また、ワルで、ツルむ同類がいるくせに、悪さをする言い訳のように、
自らを 『はみ出し者』 ・・と名乗っている DQN でもない。
だから、たくさんの被害に遭ってきた。
いろいろな メ に遭ってきたが、そうそう仕返しをしたことはない
(但し、小学校5年生までは、しっかり仕返しをしてたけど・・。笑) 。
前述した
『テメー、自分の家族が被害に遭っても、そんな事言えんのかよ!。』
・・とか、言う人には、実際の生活上は、会ったことはない
(ネット上では散見しますが、基本的にそう言う人と論争する時間もないし、
まだそういう事を言われたこともありません。※欄は開放していませんし・・。) 。
しかし、自分の大切な人が被害に遭った場合は、どうなるかは考えられない。
ただ、大切な人に手を出すことをにおわせた相手には、
自分の恐ろしい部分を曝け出したことがある。
2015年2月28日の投稿 【死人に口なし】 で書いた、オ▲が、
私の彼女を小馬鹿にするような発言をした時、
私は 『そんなことしたら、殺す。必ず殺すぞ!。』 ・・と、言ったのだ。
その時、現場の休憩用のプレハブ小屋に居た20数人が凍り付いた。
屈強な荒くれの者も多かった その部屋にいた全員が、一言も話さず、
見てはいけない者を見るように、私の方をチラチラと遠巻きに見ていた。
オ▲は、年上のクセに、『そ・そんな、じょ・冗談です。ご・ゴメン。』
・・と、私に言ったが、
私は、『オレの 「殺す」 ってのは、冗談じゃねーから。』 ・・と、
冷たく言い放って、休憩小屋を出た。
それでも、オ▲は、私への毎日の嫌がらせはやめなかった
(その日を含め2日間は平穏だったが、休み明けには元の木阿弥だった。) 。
これ以上、私自身が耐えられなかったこともあるし、
私の周囲に迷惑がかかると困るので、オ▲ん家のH〇屋を辞めたのだった。
辞めて関係がなくなったことで、直接的な被害は無くなった
(その後、何年にもわたって、あらぬ噂は振り撒かれたが・・・・。苦笑)
(『「殺す」って、脅された。』 って、噂も振り撒かれたが、この時のことなので、
それだけは本当のことだ。それに反論する気はない。) 。
つまり、最初に書いたように、
自らの死の危険があっても、
犯罪を犯す者は、犯罪を犯すであろうし、
その様な犯罪をなくしたいと思う者自身も、
相手を殺したいという欲求を持つモノだ・・・
・・・と、実感するのだ。
死刑制度についてだけでなく、人としてあるべき態度について、
これ↓ 、読んで、考えてほしいです。
こちら↓ は、電子書籍版です。
※※ 追記 (2021年1月30日) ※※
2013年5月4日の投稿
【短気な奴は、人を守れないし、管理者たる資格なし!】 に書いた通り、
私は、本気で人を殺そうと思ったことがある
(この件以外にも、小学生の頃から、私にしつこい嫌がらせをしてくるヤツらを
殺そうと思ったことは、何度もある。) 。
だからこそ、『私の中にもヤツは居る。』 ・・と、思うのだ。
かと言って、私は、
『慢性疾患の患者や老人に医療を受けさせるのは、カネの無駄。』 とか、
『薬剤の継続的投与をしないと生きられない人間は、生かしておくべきではない。』
・・などと主張するカネの亡者のクソ野郎とは違うし、
そういうクソこそ、生かしておくべきではない・・と、
閻魔様に訴えてやりたいと思ってる。
閻魔様、アイツらを早く地獄に招いて下さいませ・・・。※※ 追記2 (2021年3月18日) ※※
追記1 に書いた 【本気で人を殺そうと思ったこと】 ですが、
その時を思い返すと、精神的に追い詰められてて、心が壊れていたのだと思います。
小中学生の頃は、トコトンまで追い詰めてくるヤツラが、毎日 毎時間 嫌がらせを
してきたし、『殺すぞ。』 と、言って車でしつこく追いかけて来たヤクザジジイの時は、
赤ん坊を連れていたし、友人の死や心無い人の言葉、学校をクビにさせられたりと、
もはやギリギリまで追い詰められていたのだ・・・と、思います。
【弱い立場の人間を追い詰めるのは、反撃のリスクがある。】 という、いい例ですが、
そんなこともわからない人が沢山いるのだと感じます。
そして、本投稿を書くきっかけになった被告は、【反撃のリスクがない】 ことを、
十分に承知した上で犯行に臨んだ 卑怯者であることは、間違いないと、
私は考えています。