日本という安全な場所にいて、なんにもできないことに、憤りを感じてる。
参照:ミャンマー軍「クーデターではない」子ども死亡の責任否定…
軍隊という 圧倒的な力 (武器) を持った集団が、権力を持つ時、
国民を弾圧するのは当然のことであり、
だからこそ、過剰な軍隊への賛美は、民主主義を維持するためには、
平時から慎まなければならないと思う
(勿論、警察もそうだ。行政権の下に組みこまれている 大きな力を持った
権力を行使する集団であることは、中学生以上なら誰でも知ってる。) 。
何故なら、軍隊ではなく 選挙で選ばれた政権であっても、
国民の代表者として その権力を行使する者がくだす指示は、
否が応でも強制を伴う大いなる力であるからだ。
ケルゼンは、『権力とは、暴力である。』 ・・と、言っている。
だからこそ、権力の側にいる人は、
言葉ひとつにも 暴力の可能性があることを、肝に銘じて行動しなければならないし、
自分以外の権力に、揺れ動いたり、屈したりしてはいけないのだ・・と、思う。
ミャンマーの民衆は、
権力の暴力に屈さずに、デモをしてる。
その彼らが、軍隊と警察によって、
虐殺を受けていることに、強い憤りを感じる。
ミャンマー国軍による
ミャンマー国民への弾圧に抗議します!
翻訳が合っていればいいのですが・・・。



参照:ミャンマー軍「クーデターではない」子ども死亡の責任否定…
軍隊という 圧倒的な力 (武器) を持った集団が、権力を持つ時、
国民を弾圧するのは当然のことであり、
だからこそ、過剰な軍隊への賛美は、民主主義を維持するためには、
平時から慎まなければならないと思う
(勿論、警察もそうだ。行政権の下に組みこまれている 大きな力を持った
権力を行使する集団であることは、中学生以上なら誰でも知ってる。) 。
何故なら、軍隊ではなく 選挙で選ばれた政権であっても、
国民の代表者として その権力を行使する者がくだす指示は、
否が応でも強制を伴う大いなる力であるからだ。
ケルゼンは、『権力とは、暴力である。』 ・・と、言っている。
だからこそ、権力の側にいる人は、
言葉ひとつにも 暴力の可能性があることを、肝に銘じて行動しなければならないし、
自分以外の権力に、揺れ動いたり、屈したりしてはいけないのだ・・と、思う。
ミャンマーの民衆は、
権力の暴力に屈さずに、デモをしてる。
その彼らが、軍隊と警察によって、
虐殺を受けていることに、強い憤りを感じる。
ミャンマー国軍による
ミャンマー国民への弾圧に抗議します!
翻訳が合っていればいいのですが・・・。





