かなりのダメージだった。
その事実は受け入れるしかなかったのだが、
他人の方が受け入れられなかったのか?、もしくは、
ストレスをぶつける良いカモを見つけてストレス解消に及んだのか?、
いろんな人が、そのことでトヤカク言ってきた
(無言の抗議や、無言の冷笑も沢山あった。) 。
私の能力が及ばなくて退学したかのように言う奴には、
『オマエみてーな凡人と一緒にしてくれるな!。
オレはお前と違って、成績はトップクラスだったんだよ!。』と、
嫌味をたっぷり付けて言い返してきた。
その言い返しも、
最初の内は怒り心頭で怒鳴って言い返していたが、
今では冷めたもので、すごく冷静だ。
『あっ、そう、何とでも言えばいいよ。』 としか言わない時すらある。
ガッコをやめた後に、友人とコトを起こそうと思っていたのだが、
それは言わば、新しい夢だった。
まだ、あの頃は、うつ状態にもかかわらず、
少しづつ新しい夢を追いかけていた。
その夢が、傷心の私を支えていた。
当時の悲しげな顔で映っている写真。旅行に行っても気も晴れなかった。

でも、今は夢もない。
新しい夢は、ちょうど10年ほど前、私の手の及ばない所で消えてしまった。
夢を語らない私には、
昔の知り合いは物足りなさを感じる様だ。
まるで、夢に向かっていないと許されないかの様に、私に接する人たちは、
自分の今が夢の結果だとでも言うのだろうか?。
厭きれた様に、私から離れていった人たち。
疎遠になっても、私はもう、なんとも思わない。
勝手に離れて行けばいいよ。
夢が無くても、毎日をコツコツと生きていくことの何が悪いのかは、
私にはわからない。
私は、毎日コツコツ生きているつもりだ。
ガッコに通っていた頃の夢が無くなったのも、
その後の新しい夢が無くなったのも、私のセイではない。
他人が私の夢を切り捨てたのだ。
もうとっくに、悲しむのはやめた。
夢なんかなくても、幸せに生きることはできる。
毎日、1つ1つ、やらねばならない作業をコツコツとこなしていくだけ。
生活するとは、そういうことだ。
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