property="og:title" content="ページタイトル" /> property="og:image" content="画像URL" /> オッサン (佐村なんちゃらさんの会見で感じたこと)はみ出し者の閾値
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佐村なんちゃらさんが謝罪会見をしたみたい。

記事をちょっと読んだだけだが、「名誉棄損で訴える」 とか言っちゃって、
『これ以上名誉棄損も何もあったもんじゃないのではないのか?』 ・・と思うし、
そんなこと言うと謝罪会見の “謝罪” がぶち壊しに見えるから、よせばいいのに。
・・・なんか、自爆会見だよね。
『この人、立ち回り下手なんだなぁ~』 ・・って思ったのだが、
その話は一旦横に置いておこう。



この会見の話で、気になったことがあるのだ。


まず、佐村なんちゃらさんがどの程度聞こえているか?
・・・ってのは私は知らんが、
相変わらず 『聞こえている』 として責めている人の根拠はバカバカしいモノであった。

私の場合の話をさせて頂くと
、現在の聴力の状態に慣れれば 『今の単語はたぶん、○○って言ったんだな』 と、
不明瞭な音から予測した単語の繋ぎ合わせと、口話の組み合わせで
話の大筋がわかるものなのだ
(←そういう場合もあるということ。あくまでも相手の声の質や、
 反射物の有無や位置、周囲の雑音の大きさやその雑音の音域など
  ・・・の条件が良い場合のことなのだが・・・。口話だけでは不可能だ。
 「私と口話で話せ」 とか、ひと昔前の人権無視のろう教育かよ、バカバカしい。
  そんなことできると思ってんのか?。両耳自分で壊して、お前がやってみろよ!
。)
(もう一つ、但し書きをさせて頂くと、私の場合はマシな側の聴力は、
 それが両耳揃ってさえいれば日常生活にはほとんど影響しない程度であるので、
 このマシな側があるからこそ、条件が良い場合は相手の話が理解できるのだ。) 。

そういうことは、実際に音の質が障害される難聴になってみないと、
全くわからないんだろうなぁ~


・・・ってのが、この会見での報道陣の質問に対する、
私の感想・・・・と言うか怒りの起きる部分でもあるのだ
(音量の問題だけが難聴だと思っているらしい。
 まっ、私が色々な人に、神経解剖学的な音の入力に関する説明を図解で行っても、
  理解されない事がほとんどだもんな。
   「補聴器付けろ」 っての、本当にムカつくよ。
    不明瞭な音を増幅してどうすんだよ!、バーカ!。) 。

ただ、佐村なんちゃらさんの言う 『ねじれて聞こえる』 ってのが、
私の耳で言う所の 【雑音】 ってのとはまた違うのかもしれんので、何とも言えんがね・・・
(ちなみに私の場合は、使えない側の耳の拾う音は、痛みの様な 【完全な雑音】 であり、
 マシな側は、【場合によって(相手の声の質や、対象となる音の音域によって)、
  濁りがある (雑音まではいかないが、綺麗な音でない感じ) 】
   ・・・って、説明するのだが、全く分かってもらえない・・・。
   マシな側は、子どもの頃からこんな感じだな。
    今使えない側が使えた頃は、ほとんど不自由はしなかったのだが・・。) 。

まあ、
どうせ、実体験しないと
【人それぞれの事情】 が分からないような人たちには、
何を言っても理解されんよ。


・・であるので、この件もこれ位にしておこう。
こいつら報道陣の質問に感化されて、同じようなこと言って責めてくる人が
これまで以上に増えるであろうがね・・・・ (ウンザリだゼ。) 。



・・・前置きが長すぎたが、気になったことの本題に入ろう。

なんでも、被災地で義手の女の子の義手を外させたとかなんとかで、
報道陣に責められたらしい。
このことがいいか悪いかは、その女の子にしか決められないよ。
このことについて今回は少し書かせて頂きたい (以下)
(佐村なんちゃらさんとその子との関係がどうとかは、私しゃあ知らんよ。
 あくまでも義手を外したとか外さなかったとかの部分でのことについてだ。) 。


後天的に障害を持つと、普通はそこで一旦どうしていいかわからなくなったり、
【障害を持ったという事実】 を受け入れられなかったりする。
当たり前だ。これまでとは生き方を変えなければならなくなったり、
不自由な思いをしなければならなくなるのだから。

だが、生きていくためには、障害を受け入れなければならないし、
障害を持った今の自分に合わせた生活上の行動様式に変えたりして、
生活を継続させねばならない。

これを、【障害の受容】 と言うのであるが、
障害の受容は何も行動上のことだけではない。

仮に、障害に対する偏見を持っていた人間が障害を持った場合、
自分自身の偏見を捨てなければならない。
つまり、≪障害=『恥ずかしい』≫ ・・・と、
考えていた自分自身から脱却しなければならない訳だ。

これもまた、障害の受容なのだ。

・・・・で、佐村なんちゃらさんの行動は、
少女が 【そういう意味での障害への偏見が、障害を持つ前から元々無かった】
or
【元は偏見があったとしても、現在は障害の受容ができている】
との前提の行動であり、その少女との関係が確かであった
(あくまでも、当時のこととして) のであれば、何ら問題はないのかもしれない
(関係が薄かったのなら、やはり大きな問題であることは言うまでも無い。
 一応書いておく。 そして、何故 『かもしれない』 と書いたのかは、
  この後を続けて読んでいただければ、理解していただけると思う。) 。

もちろん、佐村なんちゃらさん自身が障害を受容できていないから、
嘘をついて世の中に出ている訳である
ので、
『オメーが他人の障害受容についてとやかく言えねーだろ!』 ・・って、
言ってやればいいのであるが・・・
(苦笑) (但し、障害の受容って難しいものだよ。) 。


・・であるので、報道陣は、障害受容の方に話を持って行った上で、
私が汚い言葉で上記したように
『あなたが他人の障害受容についてとやかくは言えませんよ。
だって、嘘をついてやって来たってことは、
あなた自身がご自分の障害を受容していない訳ですからね』

・・って、素知らぬ顔して言ってやればいいのだ。

だが、そう言わずに、ただただ、『何故?!』 とか、
『外せば感動すると思ってんのか?』 と、責めるのは、

≪【義手を外した姿=人に見せるもんじゃない】と、
義手をしている人が思っているはずだ≫

・・・と言う、決めつけ
なのではないかと思うのだ。

(もちろん、佐村なんちゃらさんは 「義手を外せば感動する」 ・・と、
 本気で思っている困った人なんだろう。
 けれど、「演奏に感動するのでは?。」・・って、世界中に数人いるかどうかの
 “よほどの天才” じゃあるまいし、そんな事そうそう無いことわかってんのに、
  ワザワザ綺麗事を言って嫌味を言うよりも、
  私の言う “自分ではなく他人に対する障害受容の押しつけ” で責めてやる方が、
   性格悪く見えないよ。)

つまりは、仮に
その質問をした人自身が、【見せるべきではない】
などと言う差別意識を持っていなかったとしても

 一般的には障害を見せることが忌まわしい事≫ 
と言う前提に立った発言だ

(神山なんちゃらさんには、『障害は見せるべきではない』 ・・という、
 時代遅れな差別意識派とは持っているとは思うけどね。) 。 

そして、
この意識こそ、
この国での差別の根本にあるモノだと思うのだ。


佐村なんちゃらさんが本気で思っている 【感動】 もある意味で差別的であるのだが、
それ以上にこの様な 【障害は隠すべきモノ】 という前提に立った
こんな言葉が堂々と出てくるのは、
まだまだ 『障害者は隠せ』 とされた戦前から全く変わってないのかもしれんなぁ~。
・・・って、私は感じたんだ。
アベチャンの目指す “美しい戦前” って、今とあんまり変わらないのかもしれないね
・・・って・・・ (戦前回帰の時代遅れな軍国主義思想の政治屋に票が入るわけだ。) 。



まあ、これが今回の佐村なんちゃらさんの会見で私が感じたことだ
(佐村なんちゃらさんの嘘の責任は追及されるだろうが、私には関係のないことだ。
ただ、佐村なんちゃらさんを責めることに躍起になっているメディアの人たちのセイで、
聴覚障害を持つ人や難聴者に対する風当たりが、更に強くなることには憤りを感じる。

つまり、自分では気づかない差別意識や差別的内容をそこかしこに噴出させることで、
全国にバカを生産し続けている、裁こうとしている人たちにもまたウンザリするのだ。
この、神山なんちゃらさんって人の責めている内容も言い方も、
私の耳の不自由さを無かったことにしよう・・・と、
躍起になって文句付けてくる人たちのそれと、全く同じなのだ。

すごくムカつく!。 こんな人がいるから、
『メンドクセーから、全く聞こえないって事にしておいた方が楽だろうな。』
・・と、感じるのだ。
こんな神山なんちゃらさんに佐村なんちゃらさんを責める資格など無いと思う。) 。


おっと忘れていた。佐村なんちゃらさんの立ち回りの下手さは気の毒に思うよ。
もし私だったら、何を言われても以前と変わらない長髪とグラサンで出て来て、
会見後に変身してひっそりとやり過ごすよ。

・・・しかし、髪を切ってグラサン外したら、
ただのオッサンだな。
私も髪を切ったら、ただのオッサンになるのかも・・・
やばいやばい・・・(笑)。

「もうオッサンだろ」 って、突っ込み、歓迎します (笑) 。

※※ 追記 ※※
オッサンはもう一人いる。
神山なんちゃらさんも無知で無神経な田舎のオッサンと同じだ。
あんたはジャーナリストじゃなくて、他人に文句をつけて得意顔になってる、
どこにでもいる田舎のオッサンだよ。

自分の謝罪をする会見なのに、若い人たちの言う所の “逆ギレ” とやらを
佐村なんちゃらさんがしてしまうのもよくわかる (「質問は以上で」 っての。) 。
聴力の事に対して、あんな無神経で無理解な事をクドクドと言われたら、
少しでも聴力に不自由をしている者なら怒っちゃうよ
(その前に “音のの障害” について説明してあるはずなのに、
「通訳終わっていない」 だの 「聞こえているというね」 だのって、
音の の障害” の話を、「ありえない話」 に捻じ曲げてる。
あの場面で笑うヤツらも皆、理解していないし、その発言も、それを笑うという行為も
音の質の障害を持つ者に対する侮辱であり差別行為だ!!!。

その差別行為を、全国的なメディアで堂々と流しちゃうんだもん。
そして、それを 『これは全国の音の質に障害がある難聴の方に対する侮辱行為ですよ』
・・とか言うコメンテーターがいないんだもん。
だから、私は 『テレビなんかカスだ』 ・・って、常々言ってるのだ。
こういう意見をメディアで言う人が1人も現れないなんて、
この国の民主主義ってまだまだなぁ~。麻生や安倍に票が入るわけだゼ。) 。
まっ、怒るのも無理はないよ。
私なら 『死ね、このレイシストのカス野郎!。』 とか言っちゃいそうだもんね。
私は立ち回りが上手いから、絶対に言わないけど (笑) 。








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DANGER MELON 

Author:DANGER MELON 
はみ出し者と言われ続けて30数年の某県△△市在住197?年生まれ自称39歳の専業主夫。

履歴:高校在学中に無認可障害者施設開所運動に関わり、高校卒業と同時に開所。以後数年間施設職員。それ以後は仕事も無くアルバイト+他で何とか食い繋ぐ。医療職を目指し齢31で進学、6年次に難癖付けられて退学。以後専業主夫。

思想:平和と民主主義を望む。足元はブーツのみ。セーターとポロシャツは着ない主義。

嫌いなモノ:差別、キノコ、弱い者イジメ。

好きなモノ:お肉、他多数。書ききれません。当ブログ内で少しづつ紹介していきます。

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