佐村なんちゃらさんを責めたてるマスコミの論理の矛盾と、それによって差別を助長しているように見えることについては、この投稿の前の2つの投稿で触れた (詳しくは前の投稿を読んでください。) 。
つまりは、 【自分自身が同じような耳にならないと解らないような、無神経で不感症な奴ら】 が、エラそうにメディアで講釈を垂れているのだ。 もちろん、医者までもがメディアで同様のことを言っている (彼らは、医師免許があるだけで、実際はただのタレントだよ。バカバカしい。) 。
私の生活の範囲内でも、早速、同じような事を言う奴がまた現れたし、私は怒りがおさまらずに、思わず手が出そうになってしまった (遠い昔に暴力とは縁を切った私に、こんな感情を起こさせるなんて、この世の無神経な人達は全員、是非バチが当たって、私と同じ・・・いや、それ以上に大変な耳・・もちろん両耳で・・・に、なっていただきたい・・・・・・・と強く天に願うよ。 ・・・・・・しかし・・・もし、この願いが実現したら、世の中は大混乱だぜ。爆笑 ) 。
そして、聴覚障害を持つ友人たちの何人かからも、そういった話が寄せられた。
今回の報道の前からあった偏見が、報道後はパワーアップしているのではないかと思われる。
それもこれも、元はと言えば佐村なんちゃらさんのセイであるのだが、たとえ佐村なんちゃらさんがこんなことをやらかさなくても、多くの人の中に ≪もし、自分自身だったら、どうなんだろうか?≫ と考えた上でモノを言う・・・・という、人として当たり前の行動様式が欠けている以上、今回の事は (佐村なんちゃらさんをきっかけにして・・・ではあるが) たまたま表に出てきただけだと思うのだ。
つまりは、マスコミからの情報を受け取る側の一般庶民もまた、その多くが 【自分自身が同じような耳にならないと解らないような、無神経で不感症な奴ら】 であることを、私に改めて感じさせる出来事であった。
これら 【無責任な発言をする、無神経で不感症な奴ら】 の内、情報を受け取る側の人たちの情報源は、もちろん 【無責任な報道を垂れ流す、無神経で不感症な奴ら】 の報道 であるのだが、 【無責任な報道を垂れ流す、無神経で不感症な奴ら】 の、つまり報道している側の情報源は何なのだろう?。
そう考えると、
彼らもまた 【誰かが言った発言や前例に振り回されている】 だけの、
真偽を検証する能力も持たない (もちろん、検証する気もない) 人たちなんだろう。
そう感じたのは、今回の佐村なんちゃらさんの件で、もう1つ納得がいかなかったことを考えた結果だ。
その、もう1つ納得がいかなかったこととは、 『楽譜が読めなければ作曲できない』 という報道だ。
誰がそんなことを言い出したのだ?。 どうせ、負け惜しみの作曲家が言っているんだろう。
そして、それに乗せられて、マスコミも何も考えずに報道しているんだろう。
バカバカしい。
私は子どもが生まれてから、既に7曲作ったぜ (作詞&作曲だけで7曲だ。絵本にあった架空の歌に作曲したのが2曲だから、合わせて9曲作曲したことになる。) 。
楽譜は読めないけどな。必要になれば、各楽器のパートも作れると思うけど・・・。
つまり、はっきり言うと・・・、
私は逆だと思うのだ。 『楽譜は読めても、センスが無ければ、そこそこの曲はできない』 のではないかね?。
そして・・・、
口で歌ったフレーズを、他人に楽譜に書いてもらったら、作曲したとは言えないのか?。
だったら、目の見えない人は作曲できないことになるんじゃないかね?・・・・。
※追記※
そもそも、今回の佐村なんちゃらさんの一件では、おかしな話や、知ったかぶりなんかが横行している。
◇タクシーの中で 「普通に話していた」 と証言するタクシー運転手は、前を見てなかったのだ・・・ってこと?。
とか、
◇ “全聾” って表現そのものが、そもそもほとんど使われていない言葉であるのに、ここへきて独り歩きしている感があること (私は今回の件で初めて聞いたよ。そもそも、 「 “全ろう者” って、いるのか?」 ってことすら、意味が解っていない人たちが論じているのだ。) 。
とか・・・・・。挙げればキリがないくらいだよ。 呆れるよ。
そして、あの風貌の佐村なんちゃらさんなので、私は今回の事があるまで、佐村なんちゃらさんが目も見えないのだと思っていた。←これには、我ながら自分の思い込みに呆れてしまった (笑) 。


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つまりは、 【自分自身が同じような耳にならないと解らないような、無神経で不感症な奴ら】 が、エラそうにメディアで講釈を垂れているのだ。 もちろん、医者までもがメディアで同様のことを言っている (彼らは、医師免許があるだけで、実際はただのタレントだよ。バカバカしい。) 。
私の生活の範囲内でも、早速、同じような事を言う奴がまた現れたし、私は怒りがおさまらずに、思わず手が出そうになってしまった (遠い昔に暴力とは縁を切った私に、こんな感情を起こさせるなんて、この世の無神経な人達は全員、是非バチが当たって、私と同じ・・・いや、それ以上に大変な耳・・もちろん両耳で・・・に、なっていただきたい・・・・・・・と強く天に願うよ。 ・・・・・・しかし・・・もし、この願いが実現したら、世の中は大混乱だぜ。爆笑 ) 。
そして、聴覚障害を持つ友人たちの何人かからも、そういった話が寄せられた。
今回の報道の前からあった偏見が、報道後はパワーアップしているのではないかと思われる。
それもこれも、元はと言えば佐村なんちゃらさんのセイであるのだが、たとえ佐村なんちゃらさんがこんなことをやらかさなくても、多くの人の中に ≪もし、自分自身だったら、どうなんだろうか?≫ と考えた上でモノを言う・・・・という、人として当たり前の行動様式が欠けている以上、今回の事は (佐村なんちゃらさんをきっかけにして・・・ではあるが) たまたま表に出てきただけだと思うのだ。
つまりは、マスコミからの情報を受け取る側の一般庶民もまた、その多くが 【自分自身が同じような耳にならないと解らないような、無神経で不感症な奴ら】 であることを、私に改めて感じさせる出来事であった。
これら 【無責任な発言をする、無神経で不感症な奴ら】 の内、情報を受け取る側の人たちの情報源は、もちろん 【無責任な報道を垂れ流す、無神経で不感症な奴ら】 の報道 であるのだが、 【無責任な報道を垂れ流す、無神経で不感症な奴ら】 の、つまり報道している側の情報源は何なのだろう?。
そう考えると、
彼らもまた 【誰かが言った発言や前例に振り回されている】 だけの、
真偽を検証する能力も持たない (もちろん、検証する気もない) 人たちなんだろう。
そう感じたのは、今回の佐村なんちゃらさんの件で、もう1つ納得がいかなかったことを考えた結果だ。
その、もう1つ納得がいかなかったこととは、 『楽譜が読めなければ作曲できない』 という報道だ。
誰がそんなことを言い出したのだ?。 どうせ、負け惜しみの作曲家が言っているんだろう。
そして、それに乗せられて、マスコミも何も考えずに報道しているんだろう。
バカバカしい。
私は子どもが生まれてから、既に7曲作ったぜ (作詞&作曲だけで7曲だ。絵本にあった架空の歌に作曲したのが2曲だから、合わせて9曲作曲したことになる。) 。
楽譜は読めないけどな。必要になれば、各楽器のパートも作れると思うけど・・・。
つまり、はっきり言うと・・・、
私は逆だと思うのだ。 『楽譜は読めても、センスが無ければ、そこそこの曲はできない』 のではないかね?。
そして・・・、
口で歌ったフレーズを、他人に楽譜に書いてもらったら、作曲したとは言えないのか?。
だったら、目の見えない人は作曲できないことになるんじゃないかね?・・・・。
※追記※
そもそも、今回の佐村なんちゃらさんの一件では、おかしな話や、知ったかぶりなんかが横行している。
◇タクシーの中で 「普通に話していた」 と証言するタクシー運転手は、前を見てなかったのだ・・・ってこと?。
とか、
◇ “全聾” って表現そのものが、そもそもほとんど使われていない言葉であるのに、ここへきて独り歩きしている感があること (私は今回の件で初めて聞いたよ。そもそも、 「 “全ろう者” って、いるのか?」 ってことすら、意味が解っていない人たちが論じているのだ。) 。
とか・・・・・。挙げればキリがないくらいだよ。 呆れるよ。
そして、あの風貌の佐村なんちゃらさんなので、私は今回の事があるまで、佐村なんちゃらさんが目も見えないのだと思っていた。←これには、我ながら自分の思い込みに呆れてしまった (笑) 。

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