ウチの子の発語は同じ月齢の子と比べると、とてもじゃないが 『普通』 とか、 『そんなもんだ』 なんて言えるレベルではない。
この間も、健診や予防接種で医者に言われたり、何度も市の保健師から訪問を受けて指摘されたのだが、そんなことはわかっていることであるし、ウチの子の言語能力の高さ (もちろん、言語の理解の能力だ。) は、毎日付き合っている私が一番よく知っているし、自信を持っていた。
しかし、こう何度もトヤカク言われると、 『ちょいと高次脳機能障害があるのかな~』 とか、 『軽い知的障害があるのかもね~』 などと、今日までの期間に、自分の評価に自信が無くなってくることもあった (評価とは、常に再評価を行うことを前提としておかねばならないモノであるし、それが身に付いているのであるから、こんな風に自信がなくなることがあるのは仕方がないことだ。 しかし、これら専門家の余計な言動は、私ではなく知識のない普通の親だったら、うろたえると思うよ。そもそも、後述するが、ウチの子の発語に関しては、 「どうしようもない」 と言うのが現実なのだ。) 。
例えば、単語の発語はこんな感じだ。
・ 『イト』 (お父さん。「うっとぅーたん」から、「いとぅーたん」に変化し、略されて「いと」になった。)
・ 『ンボ』 (ユンボ)
・ 『ピーピータン』 (ピンク色)
・ 『ミンミ』 (緑色)
・ 『シッシーバー』 (チョッパーのシートの後ろのアレではない。何故か “ホイールローダー” の事をこう呼んでいる。)
・・etc
しかし、ちょっと考えれば気が付くと思うが、『ンボ』はともかくとして、他のは全て本人が遊んでいるとしか思えない。
元々、 『イトゥータン』 や 『ウトゥータン』 、 『ンボ』 の様に、発音がうまくいっていないと言う事実はあるのだが、それを直そうとするのではなく、むしろ自分だけの言葉遊びを楽しんでいる様なのだ (・・・ってな訳で、かなり長い間、全然進歩しないのだ。) 。
幼稚園の方は、少し遠い1園に願書を出しておいた。願書を出してからは、その幼稚園の未就園児の集いに参加していた。
そこでは、ウチの子が 【落ち着きがない】 などの指摘を受けたが、私は他の子も同じようにしか見えなかったし、ウチの子はあまり他の子と関わる機会を持ってこなかったので、 『こんなもんじゃないかなぁ』 と思っていた (・・と言うか、人づきあいがうまくない人間だって居ていいのだ。そのことを必要以上に気にする方が良くない気がする。) (この事に関しては、最初は全く入って行けないウチの子が、時間と共に場に慣れた挙句、終わりに近い時間になってみんなが静かにしていて、一部の他の子が走っているのを見て、自分も走っただけの事だ。つまり、 【慣れ→他の子を見て、 「してよい」 という判断をする→他の子の様に走る】 という行動に出ただけで、父が連れていることもあって、目立ってしまっただけだ。) 。
だが、ここでもまた言葉の事はしっかりと指摘を受けた。それについては、確かに発語が稚拙である事を淡々と伝えておいた。
そういうわけで、幼稚園の面接に臨むにあたって、言葉の事は必ず指摘されるとは思うが、私はウチの子の言語理解能力に遅れがないことを確信しているし、発語=言語ではないことをよくわかっているつもりだったので、その説明もできるし、気楽に考えていた。
しかし、カミサンは、とても心配していた。
『面接で言葉の事を言われたら、どうするの?。言われなければいいけど・・。』
・・・というカミサンに、
私は、 『そんなモン言われるに決まってんよ、もう言われてんだからよ。大丈夫、まっオレに任せとけや。』
・・と答えておいた。
しかし、ただ一つ不安が残ったのは、
果たしてウチの子が 【他人からの問いかけに対して】 、答えを述べようとするのか?
・・・という事だった。
普段は人に尋ねられても、ほとんど発語で答えないのだ。伝えたい事もジェスチャーや手話を使うことが多いのだ。 例えば、車の後席でチャイルドシートの横に座っている友人に、 【私と私の隣にいるもう一人の友人を指さした後に自分のジーパンを指さす】 ・・と言う行動で、 「あの2人はジーパンの話をしているんだ」 と伝えたりする (実際にその時、私と友人で501の話をしていた。) 。 私.の考えでは、自分の発語が完全ではない為に相手に通じないのが嫌なので、発語で答えようとしていないのだ・・・と思っている。
しかし、それを説明した所で、幼稚園側が理解する能力があるかどうかもわからないし、その説明の確証を示す必要もあるだろう。やはり、ひと言も答えないようであれば、面接では少々マズイ。
・・・って事で臨んだ先日の面接 (以下) 。
最初は、教頭との面接だった。
まず、前の子の面接を見ていると、 「今日は誰と来たのかな?」 ・・・ 「ママ」
・・・・すでにこの時点で他の子とは決定的なハンデがあるのだ。
私たちの子どもの頃は、 「パパ、ママ」 ・・ってのが、すごくカッコ悪いものであったし、圧倒的に少数派であった。・・・ってなわけで、ウチではそのような呼び方を使っていないし、子ども自身も知らないのである。ウチの子の 『ピーピータン』 『ミンミ』 『シッシーバー』 などの発語を見てもわかるように、連続音は非常に発語しやすく、そこから発語の第一歩が始まり、発展を遂げて行くのであろう。しかし、ウチの子はその過程を踏んでいない。
実際に、 「おとうさん、おかあさん」 の方が、 「パパ、ママ」 よりも、圧倒的に発語における難易度は高い。
果たして同じ質問に、ウチの子はどうこたえるのだろうか?。
普通の親ならドキドキするところだが、私は久しぶりに脳を回転させて、行き当たりばったりの場での論理構築に何だかワクワクしていた (オバカですね・・・。) 。
予想されたのは、
・ 「いと」 と答える
・ 何も言わずに父を指さす
・ なんとか 「いとぅーたん」 と答える
・・・・・の3パターンであったが、予想は裏切られた。 だんまり黙ったまま答えなかったのだ。
『誰と来たんや?。答えられんのか?』 と、言う私の方を向きもせず、黙って面接官を見ている。
答えが無いので、仕方なく次の質問に・・・。
机の上に、果物の絵本が開かれた。ブドウのページだ。
教頭:「これ、なにかな?」
子:「・・・・・・・・・・・・・・・」 (私も黙って観察していた。)
数十秒待ってくれたのだが、仕方ないので次の質問に移った。
そこで、教頭が 「じゃ・・・・・」 と言ったと同時に、ウチの子は、 「ぶぅど」 と小さくつぶやいたのだ。
もちろん、同時だったので誰にも聞こえなかった。私が聞こえたのは、子どもの口が私のマシな方の耳のスグ横にあったからだ。
その時、教頭は 「じゃあ、コレはどうかな?。あっ、コレちょっと難しいか・・」 と言って、ナシのページを開いたのだが、再度違うページに変えようとした。
ウチの子は、先の 【ブドウ】 という自分の答えが聞こえていなかった事が悔しかったのか、即座に 『なちっ!!』 と大声で答えた。
私は、 「やるじゃねーか。でかしたぞ。」 ・・と心の中でほくそ笑む。
そこで、質問は私に切り替わる。もちろん、言葉の話だ。
私は言う。
『言語的コミュニケーションってのは、発語以前に、まず言語の意味の理解が必要です。 ペラペラといくつもの単語を組み合わせてお話ができる子の場合、果たしてそれが言語の理解ととらえてもいいモノでしょうか?。・・・・・・・・・ (長々と話し続ける) 』
・・・自分でも感心するくらいペラペラと話す私・・・・。
しばらく待った後、次に園長との面接。
園長:「教頭も心配しておりましたが、言葉の件は大丈夫だとお考えですか?。」
私:『私は全く心配しておりません。心配なさっているのは、周りの方々だけです。 例えば、発語が少ないのは性格的な問題によるものかもしれませんし、 “発語が少ない=言葉の遅れ” と言うのは、あまりにも短絡的だと思います。 コミュニケーションにおいて意思を表示すると言う事は、先の話の性格的傾向も関与してきますが、それ以前に発語のみが意思表示ではないはずです。 例えばですね、ウチの子は “終わり” とか “おいしい” などと言う場合、簡単な手話で意思を表示します。・・・・・・・・・ (長々と話し続ける) 』
・・ここでもまた、我ながら呆れるくらい上手にペラペラと口から言葉が出て来る・・。
・・・ってなことで、面接も無事に終わって、入園が決まったのだ。
その日の晩御飯の時、面接のことをカミサンに報告しながら、上機嫌でビールを飲む私。
そして、『いやー、でかした。えらいぞ~。上手にこたえられたなぁ~。』 ・・・と、子どもを褒める。
すると、カミサンが言う。 『でも、 「なち」 しか言ってないんでしょ?。 ・・ってことは、今回の面接は、○○○くん (私) の話術で、教頭と園長を丸め込んできただけなんじゃないの?!。』
確かに、その通りかもしれない・・・。 で、私は言った。
『まっ、口から生まれた男の本領を発揮してやったぜ。』




この間も、健診や予防接種で医者に言われたり、何度も市の保健師から訪問を受けて指摘されたのだが、そんなことはわかっていることであるし、ウチの子の言語能力の高さ (もちろん、言語の理解の能力だ。) は、毎日付き合っている私が一番よく知っているし、自信を持っていた。
しかし、こう何度もトヤカク言われると、 『ちょいと高次脳機能障害があるのかな~』 とか、 『軽い知的障害があるのかもね~』 などと、今日までの期間に、自分の評価に自信が無くなってくることもあった (評価とは、常に再評価を行うことを前提としておかねばならないモノであるし、それが身に付いているのであるから、こんな風に自信がなくなることがあるのは仕方がないことだ。 しかし、これら専門家の余計な言動は、私ではなく知識のない普通の親だったら、うろたえると思うよ。そもそも、後述するが、ウチの子の発語に関しては、 「どうしようもない」 と言うのが現実なのだ。) 。
例えば、単語の発語はこんな感じだ。
・ 『イト』 (お父さん。「うっとぅーたん」から、「いとぅーたん」に変化し、略されて「いと」になった。)
・ 『ンボ』 (ユンボ)
・ 『ピーピータン』 (ピンク色)
・ 『ミンミ』 (緑色)
・ 『シッシーバー』 (チョッパーのシートの後ろのアレではない。何故か “ホイールローダー” の事をこう呼んでいる。)
・・etc
しかし、ちょっと考えれば気が付くと思うが、『ンボ』はともかくとして、他のは全て本人が遊んでいるとしか思えない。
元々、 『イトゥータン』 や 『ウトゥータン』 、 『ンボ』 の様に、発音がうまくいっていないと言う事実はあるのだが、それを直そうとするのではなく、むしろ自分だけの言葉遊びを楽しんでいる様なのだ (・・・ってな訳で、かなり長い間、全然進歩しないのだ。) 。
幼稚園の方は、少し遠い1園に願書を出しておいた。願書を出してからは、その幼稚園の未就園児の集いに参加していた。
そこでは、ウチの子が 【落ち着きがない】 などの指摘を受けたが、私は他の子も同じようにしか見えなかったし、ウチの子はあまり他の子と関わる機会を持ってこなかったので、 『こんなもんじゃないかなぁ』 と思っていた (・・と言うか、人づきあいがうまくない人間だって居ていいのだ。そのことを必要以上に気にする方が良くない気がする。) (この事に関しては、最初は全く入って行けないウチの子が、時間と共に場に慣れた挙句、終わりに近い時間になってみんなが静かにしていて、一部の他の子が走っているのを見て、自分も走っただけの事だ。つまり、 【慣れ→他の子を見て、 「してよい」 という判断をする→他の子の様に走る】 という行動に出ただけで、父が連れていることもあって、目立ってしまっただけだ。) 。
だが、ここでもまた言葉の事はしっかりと指摘を受けた。それについては、確かに発語が稚拙である事を淡々と伝えておいた。
そういうわけで、幼稚園の面接に臨むにあたって、言葉の事は必ず指摘されるとは思うが、私はウチの子の言語理解能力に遅れがないことを確信しているし、発語=言語ではないことをよくわかっているつもりだったので、その説明もできるし、気楽に考えていた。
しかし、カミサンは、とても心配していた。
『面接で言葉の事を言われたら、どうするの?。言われなければいいけど・・。』
・・・というカミサンに、
私は、 『そんなモン言われるに決まってんよ、もう言われてんだからよ。大丈夫、まっオレに任せとけや。』
・・と答えておいた。
しかし、ただ一つ不安が残ったのは、
果たしてウチの子が 【他人からの問いかけに対して】 、答えを述べようとするのか?
・・・という事だった。
普段は人に尋ねられても、ほとんど発語で答えないのだ。伝えたい事もジェスチャーや手話を使うことが多いのだ。 例えば、車の後席でチャイルドシートの横に座っている友人に、 【私と私の隣にいるもう一人の友人を指さした後に自分のジーパンを指さす】 ・・と言う行動で、 「あの2人はジーパンの話をしているんだ」 と伝えたりする (実際にその時、私と友人で501の話をしていた。) 。 私.の考えでは、自分の発語が完全ではない為に相手に通じないのが嫌なので、発語で答えようとしていないのだ・・・と思っている。
しかし、それを説明した所で、幼稚園側が理解する能力があるかどうかもわからないし、その説明の確証を示す必要もあるだろう。やはり、ひと言も答えないようであれば、面接では少々マズイ。
・・・って事で臨んだ先日の面接 (以下) 。
最初は、教頭との面接だった。
まず、前の子の面接を見ていると、 「今日は誰と来たのかな?」 ・・・ 「ママ」
・・・・すでにこの時点で他の子とは決定的なハンデがあるのだ。
私たちの子どもの頃は、 「パパ、ママ」 ・・ってのが、すごくカッコ悪いものであったし、圧倒的に少数派であった。・・・ってなわけで、ウチではそのような呼び方を使っていないし、子ども自身も知らないのである。ウチの子の 『ピーピータン』 『ミンミ』 『シッシーバー』 などの発語を見てもわかるように、連続音は非常に発語しやすく、そこから発語の第一歩が始まり、発展を遂げて行くのであろう。しかし、ウチの子はその過程を踏んでいない。
実際に、 「おとうさん、おかあさん」 の方が、 「パパ、ママ」 よりも、圧倒的に発語における難易度は高い。
果たして同じ質問に、ウチの子はどうこたえるのだろうか?。
普通の親ならドキドキするところだが、私は久しぶりに脳を回転させて、行き当たりばったりの場での論理構築に何だかワクワクしていた (オバカですね・・・。) 。
予想されたのは、
・ 「いと」 と答える
・ 何も言わずに父を指さす
・ なんとか 「いとぅーたん」 と答える
・・・・・の3パターンであったが、予想は裏切られた。 だんまり黙ったまま答えなかったのだ。
『誰と来たんや?。答えられんのか?』 と、言う私の方を向きもせず、黙って面接官を見ている。
答えが無いので、仕方なく次の質問に・・・。
机の上に、果物の絵本が開かれた。ブドウのページだ。
教頭:「これ、なにかな?」
子:「・・・・・・・・・・・・・・・」 (私も黙って観察していた。)
数十秒待ってくれたのだが、仕方ないので次の質問に移った。
そこで、教頭が 「じゃ・・・・・」 と言ったと同時に、ウチの子は、 「ぶぅど」 と小さくつぶやいたのだ。
もちろん、同時だったので誰にも聞こえなかった。私が聞こえたのは、子どもの口が私のマシな方の耳のスグ横にあったからだ。
その時、教頭は 「じゃあ、コレはどうかな?。あっ、コレちょっと難しいか・・」 と言って、ナシのページを開いたのだが、再度違うページに変えようとした。
ウチの子は、先の 【ブドウ】 という自分の答えが聞こえていなかった事が悔しかったのか、即座に 『なちっ!!』 と大声で答えた。
私は、 「やるじゃねーか。でかしたぞ。」 ・・と心の中でほくそ笑む。
そこで、質問は私に切り替わる。もちろん、言葉の話だ。
私は言う。
『言語的コミュニケーションってのは、発語以前に、まず言語の意味の理解が必要です。 ペラペラといくつもの単語を組み合わせてお話ができる子の場合、果たしてそれが言語の理解ととらえてもいいモノでしょうか?。・・・・・・・・・ (長々と話し続ける) 』
・・・自分でも感心するくらいペラペラと話す私・・・・。
しばらく待った後、次に園長との面接。
園長:「教頭も心配しておりましたが、言葉の件は大丈夫だとお考えですか?。」
私:『私は全く心配しておりません。心配なさっているのは、周りの方々だけです。 例えば、発語が少ないのは性格的な問題によるものかもしれませんし、 “発語が少ない=言葉の遅れ” と言うのは、あまりにも短絡的だと思います。 コミュニケーションにおいて意思を表示すると言う事は、先の話の性格的傾向も関与してきますが、それ以前に発語のみが意思表示ではないはずです。 例えばですね、ウチの子は “終わり” とか “おいしい” などと言う場合、簡単な手話で意思を表示します。・・・・・・・・・ (長々と話し続ける) 』
・・ここでもまた、我ながら呆れるくらい上手にペラペラと口から言葉が出て来る・・。
・・・ってなことで、面接も無事に終わって、入園が決まったのだ。
その日の晩御飯の時、面接のことをカミサンに報告しながら、上機嫌でビールを飲む私。
そして、『いやー、でかした。えらいぞ~。上手にこたえられたなぁ~。』 ・・・と、子どもを褒める。
すると、カミサンが言う。 『でも、 「なち」 しか言ってないんでしょ?。 ・・ってことは、今回の面接は、○○○くん (私) の話術で、教頭と園長を丸め込んできただけなんじゃないの?!。』
確かに、その通りかもしれない・・・。 で、私は言った。
『まっ、口から生まれた男の本領を発揮してやったぜ。』





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