※最後の部分で、口が悪いことをあらかじめお詫びします。※
若い頃一緒に無認可施設をやっていたMちゃん (・・・とは言っても、私より一回り以上年上なのだが・・・。) からの年賀状に、
『昨年はSさんの死など・・・』
・・と、書いてあったので、ビックリして年賀状に 『近々、TELします。』 ・・・って、書いておいた。
その年賀状が付いた後、正月気分も抜けた頃を見計らって、電話をし、事情を尋ねようと思っていたのであるが、なんだかゴタゴタ続きで電話をする時間など取れなかった。すると、先日Mちゃんの方から気を効かせて電話があった (17日の事だ。前回までの投稿にあるY子の電話の2時間ほど前にかかってきたのだ。) 。
Sさんは、私より一回りと少し年上で、私が20歳の時に、30代半ばだった。
有名国立大学を卒業後、バブルの真っ最中であったが、それでもSさんには就職先は無かったようで、Sさんは色々な団体の事務的な専従者などをパートでやってきた・・・って話であった。
タメ口をたたく私にも、にこやかに付き合ってくれたSさんだったが、時々 『当事者じゃないとワカランよ。』 ・・と、言ったものであった。
Sさんは、外見的なハンデが大きかった。
体は人一倍小さいし、体力が必要な仕事は、アルバイトすら雇ってもらえないのは誰にでもわかる。
詳しくは書かないが、他にもイロイロとハンデは大きかった。
しかしながら、Sさんは、施設運営の資金集めの1つである廃品回収も一生懸命にやっていたし、施設に通って来ている なかま達 にも人として対等に接していた (私たちの作業所では当たり前に求められることだった。) し、何よりも指導員として 『今、この人にどんなことを言うのが効果的なのか?。』 ・・がわかる人であった (これがわかる人は、ほとんどいないのだ。) 。
それに加え、対象となる人に私が言った “声掛け” の効果を十分に大きなものにできる、フォローの声掛けがとても優れていた (←これ、できる人もすごく少ない。 せっかくの声掛けを台無しにする一言を言っちゃう人って、多いのだ。) 。
だから、若い頃の私は、Sさんを呼び捨てにしてタメ口を叩いてはいたが、すごく頼りにしていた。
施設職員を辞めてから、誰かに 『また作業所やらないの?。』 ・・と尋ねられる度に、私は 『やるとすれば、一緒にやる奴が肝心だな。どうしても必要な人材が揃えばやってもいいけど、そこらへんの奴とじゃダメだな・・。』 ・・と言っていたものだった。
・・・・・ 『どうしても必要な人材』 それは、もちろん、Sさんの事だ。
私たちがみんなで作り上げた施設は、私が去った後に数々のトラブルがあったようで、詳しくは知らないが、草創期のメンバーは全員辞めさせられたらしい。
10数年前、真っ先にそのターゲットになったのは、私と共に施設の旗揚げに参加した私の元上司だったらしいのだが、この元上司の息のかかった人間を排除することが、現在施設を動かしている人たちの望む所だったらしい。
そして、元上司が辞めさせられてから2年とたたずに、元上司の退職の件も “素知らぬ顔” を決め込んでいたSさんを始めとする面々も退職に追い込まれたらしい。
しかし、歳のせいだけでなく、Sさんに再就職があるはずなどない!。
Sさんより一回り以上若い私が、再就職ができなかったのだ。
まして、外観も先だって書いたように、大きなハンデがある。
Sさんを取り巻いていた人たちとも距離を置き、兄が借りた部屋でつつましやかに遺産で生活をしていたらしい。
偶々、Mちゃんとバッタリ出会って、口を濁しながら、近況を伝えたのが一昨年だったらしい。
その時に、 『困ったことがあったら、いつでも電話してね。』 と、言って渡したMちゃんの連絡先に電話をかけてきたのが、去年の盆過ぎだったらしい。 その時はすでに、 【立っているのもやっと】 の状態だったらしい。
すぐに検査入院して、少し元気になったらしいが、9月の上旬に亡くなったらしい。
親族が亡骸を引き取ったようだが、葬儀の告知も無く、死因その他も全く分からないままであったそうだ (昨今は尋ねても、 [守秘義務] とやらで教えてもらえないからね・・・。それくらい教えてもよさそうなもんだが・・、Mちゃんは、入院時の保証人であったにもかかわらず、死因はおろか親族の連絡先も教えてもらえなかったらしい。) 。
私もSさんにひとこと言いたかった。
『Sさんのこと、デキる指導員として、信用してるゼ。』 ・・・と。
・・・・そして、
オレは凄く怒っている。
まず、Sさんの職を奪った奴らに・・・だ。
あのSさんが、もう一度仕事に就けるとでも思っていたのか?。
オレの元上司もだ。彼女は仕事にありついていない。
そして、この2人が心にどれだけの傷を負ったのかわからないのか?。
また、Sさんには、友人が大勢いたはずなのであるが、オレは・・・
Sさんの取り巻きだった奴らにも、怒っている。
Sさんが距離を置くと言うことは、Sさんが再就職しないのをSさんのせいにしたのではないか?。
オレに沢山の人が言った様に、
『探す努力をしていない。』 とか、
『選ばなければ、仕事なんていくらでもある。』 とか (←選ぶのは会社側であることすらわからないらしい・・。) 、
『社会のせいにして、甘えてる。』 とか (←本当に社会のせいじゃねーかよ。)
言ったんじゃないのか?。
まっ、恵まれた奴らには、わかんねーんだろうなー。
※ ↓ 一応書いておく ↓ 。※
オレは、Sさんよりずっと恵まれていることは、十分にわかっているつもりだ。


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若い頃一緒に無認可施設をやっていたMちゃん (・・・とは言っても、私より一回り以上年上なのだが・・・。) からの年賀状に、
『昨年はSさんの死など・・・』
・・と、書いてあったので、ビックリして年賀状に 『近々、TELします。』 ・・・って、書いておいた。
その年賀状が付いた後、正月気分も抜けた頃を見計らって、電話をし、事情を尋ねようと思っていたのであるが、なんだかゴタゴタ続きで電話をする時間など取れなかった。すると、先日Mちゃんの方から気を効かせて電話があった (17日の事だ。前回までの投稿にあるY子の電話の2時間ほど前にかかってきたのだ。) 。
Sさんは、私より一回りと少し年上で、私が20歳の時に、30代半ばだった。
有名国立大学を卒業後、バブルの真っ最中であったが、それでもSさんには就職先は無かったようで、Sさんは色々な団体の事務的な専従者などをパートでやってきた・・・って話であった。
タメ口をたたく私にも、にこやかに付き合ってくれたSさんだったが、時々 『当事者じゃないとワカランよ。』 ・・と、言ったものであった。
Sさんは、外見的なハンデが大きかった。
体は人一倍小さいし、体力が必要な仕事は、アルバイトすら雇ってもらえないのは誰にでもわかる。
詳しくは書かないが、他にもイロイロとハンデは大きかった。
しかしながら、Sさんは、施設運営の資金集めの1つである廃品回収も一生懸命にやっていたし、施設に通って来ている なかま達 にも人として対等に接していた (私たちの作業所では当たり前に求められることだった。) し、何よりも指導員として 『今、この人にどんなことを言うのが効果的なのか?。』 ・・がわかる人であった (これがわかる人は、ほとんどいないのだ。) 。
それに加え、対象となる人に私が言った “声掛け” の効果を十分に大きなものにできる、フォローの声掛けがとても優れていた (←これ、できる人もすごく少ない。 せっかくの声掛けを台無しにする一言を言っちゃう人って、多いのだ。) 。
だから、若い頃の私は、Sさんを呼び捨てにしてタメ口を叩いてはいたが、すごく頼りにしていた。
施設職員を辞めてから、誰かに 『また作業所やらないの?。』 ・・と尋ねられる度に、私は 『やるとすれば、一緒にやる奴が肝心だな。どうしても必要な人材が揃えばやってもいいけど、そこらへんの奴とじゃダメだな・・。』 ・・と言っていたものだった。
・・・・・ 『どうしても必要な人材』 それは、もちろん、Sさんの事だ。
私たちがみんなで作り上げた施設は、私が去った後に数々のトラブルがあったようで、詳しくは知らないが、草創期のメンバーは全員辞めさせられたらしい。
10数年前、真っ先にそのターゲットになったのは、私と共に施設の旗揚げに参加した私の元上司だったらしいのだが、この元上司の息のかかった人間を排除することが、現在施設を動かしている人たちの望む所だったらしい。
そして、元上司が辞めさせられてから2年とたたずに、元上司の退職の件も “素知らぬ顔” を決め込んでいたSさんを始めとする面々も退職に追い込まれたらしい。
しかし、歳のせいだけでなく、Sさんに再就職があるはずなどない!。
Sさんより一回り以上若い私が、再就職ができなかったのだ。
まして、外観も先だって書いたように、大きなハンデがある。
Sさんを取り巻いていた人たちとも距離を置き、兄が借りた部屋でつつましやかに遺産で生活をしていたらしい。
偶々、Mちゃんとバッタリ出会って、口を濁しながら、近況を伝えたのが一昨年だったらしい。
その時に、 『困ったことがあったら、いつでも電話してね。』 と、言って渡したMちゃんの連絡先に電話をかけてきたのが、去年の盆過ぎだったらしい。 その時はすでに、 【立っているのもやっと】 の状態だったらしい。
すぐに検査入院して、少し元気になったらしいが、9月の上旬に亡くなったらしい。
親族が亡骸を引き取ったようだが、葬儀の告知も無く、死因その他も全く分からないままであったそうだ (昨今は尋ねても、 [守秘義務] とやらで教えてもらえないからね・・・。それくらい教えてもよさそうなもんだが・・、Mちゃんは、入院時の保証人であったにもかかわらず、死因はおろか親族の連絡先も教えてもらえなかったらしい。) 。
私もSさんにひとこと言いたかった。
『Sさんのこと、デキる指導員として、信用してるゼ。』 ・・・と。
・・・・そして、
オレは凄く怒っている。
まず、Sさんの職を奪った奴らに・・・だ。
あのSさんが、もう一度仕事に就けるとでも思っていたのか?。
オレの元上司もだ。彼女は仕事にありついていない。
そして、この2人が心にどれだけの傷を負ったのかわからないのか?。
また、Sさんには、友人が大勢いたはずなのであるが、オレは・・・
Sさんの取り巻きだった奴らにも、怒っている。
Sさんが距離を置くと言うことは、Sさんが再就職しないのをSさんのせいにしたのではないか?。
オレに沢山の人が言った様に、
『探す努力をしていない。』 とか、
『選ばなければ、仕事なんていくらでもある。』 とか (←選ぶのは会社側であることすらわからないらしい・・。) 、
『社会のせいにして、甘えてる。』 とか (←本当に社会のせいじゃねーかよ。)
言ったんじゃないのか?。
まっ、恵まれた奴らには、わかんねーんだろうなー。
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オレは、Sさんよりずっと恵まれていることは、十分にわかっているつもりだ。

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