インターネットで仲良くなった方から、時々、
ツイッター(Twitter)のお誘いを受けるのだが、丁寧にお断りしている。
もちろん、 『子どもを育てているので・・・、 “そんな時間を割くのがもったいない” とか、 “それどころではない” のが、当然の理由なのだ』 ・・・と、誘って下さった方は考えている・・とは思うのだが、それ以前に色々と理由はある。
誘って下さる方は、仲間内で 【日々の会話を楽しむ】 事を目的として、誘ってくれているのだと思うのだ。
しかし、携帯電話のメールでさえ、 “重要な用件” or “真面目な話” でないと返信しない私が、四六時中、顔の見えない相手との会話に縛られる事を受け入れられるはずがない
(子どもと2人になる6月以前は、ガッコをやめてから何年もの間、 “不携帯電話” だったし・・・)。
たとえ私が、お金に余裕があって、スマートフォンを持っていたとしても、縛られたくはないので、ツイッターはやらないと思うのだ。
さらに、不特定多数の方と会話をするのも気が重い
(前述したような性格だからね・・・)。
選別はできるのであろうが、インターネットで仲良くなった方との間柄を考えると、仲良くなった全ての人と“様々なお話をしたり”して、濃密な時間を経た上での信頼関係を築いたわけではない。
また、全ての仲良くなった方を信頼しているわけでもない
(私の事を良く思っていない方からは、発言は来ないであろう。逆に、その人の言葉の端々から、私があまり良い印象を抱いていない相手もいるであろうから・・)。
よって、必然的に表面的な付き合いになってしまう。
それであったなら、ゲーム内のコミュニケーションツール (ゲーム内のメールや掲示板) での会話で十分だと思う。
表面的な付き合いにするかどうかは、 《私の発信次第》 なのではあるが、
少ない文字数で誤解なく的確に主旨を表現できる能力は、私にはない
(ブログや手紙でさえ、私が伝えたい思いの5%位しか伝わっていないと思う。但し、ブログを元に手紙やメールで話をするのは、説明が省けて手っ取り早いし、その手紙やメールでの共通認識を持った上で、直接会話をするのも話の流れがスムーズで、とても役に立っているとは思う)。
また、オンラインゲームをしていても思うのだが、他のプレイヤーとのあいさつ (ゲーム内でのワンクリックでできる形式的なあいさつ) など、 《見えない相手との、一方的に送ることができるコミュニケーション》 は、 “なんとなく不安を書き立てられるもの” であると、つくづく思う。
実際には(物理的に言えば)、PCに向かっていようが、スマートフォンを操作していようが、その個人は1人である。にもかかわらず、 “沢山の人と繋がっている実感が湧く” というのが、インターネットの面白さでもあるのだが、不安な思考や強迫観念に追い込まれやすい部分なのだと思う。
(これは、ツイッターでも同様であると思うのだ)
ゲームで知り合った方のうち何人かは、とてもゲーム慣れしているらしく、あいさつ(ゲーム内の形式的なあいさつ)を毎日送って来ない (ひと月に1~3回くらい)。
そんな風にうまくネットでの付き合いができる方は、そう多くはないだろう。
私もそんな風になりたいとは思うのだが、私はそんなすごい人間にはなれそうにない。
つまりは、ツイッターをするとなると、返信 (reツイートと言うらしいが・・オッサンには横文字はついていけない・・) を 『しなければならない!』 と、自分を追い込んでしまう可能性が高い。
だから、 『メールを数分以内に返信しなければならない』 と思ってしまう若者のことも少しはわかる気がする。
私は、やわな人間であるので、ツイッターをするとそんな様な気分になってしまうかもしれないとも思ったりもするのだ。
しかし、携帯電話のメールの場合は、そのような “束縛された” 気分にはなりたくはないという理由で意図的に返信を制限したりはしていないのだが、いつの間にか自然に放置している・・・。
ツイッターでもこうなっちゃう可能性が高いと思われる。
・・・・・私、やっぱり向いてなさそうだね・・・。
長々と理由を書いてきましたが、
要するに、 “若くはないからできない” のか・・・(笑)。
このあたりが一番の理由だったりして・・(笑)。
誘ってくれるお気持ちはとても嬉しいし、感謝しています。
しかし、四六時中そのようなツールで繋がっていなくとも、ずっと友達です。
私はこういう人間だから、私を気に入ってくれているのなら、それだけでずっと仲良しですよ。



ツイッター(Twitter)のお誘いを受けるのだが、丁寧にお断りしている。
もちろん、 『子どもを育てているので・・・、 “そんな時間を割くのがもったいない” とか、 “それどころではない” のが、当然の理由なのだ』 ・・・と、誘って下さった方は考えている・・とは思うのだが、それ以前に色々と理由はある。
誘って下さる方は、仲間内で 【日々の会話を楽しむ】 事を目的として、誘ってくれているのだと思うのだ。
しかし、携帯電話のメールでさえ、 “重要な用件” or “真面目な話” でないと返信しない私が、四六時中、顔の見えない相手との会話に縛られる事を受け入れられるはずがない
(子どもと2人になる6月以前は、ガッコをやめてから何年もの間、 “不携帯電話” だったし・・・)。
たとえ私が、お金に余裕があって、スマートフォンを持っていたとしても、縛られたくはないので、ツイッターはやらないと思うのだ。
さらに、不特定多数の方と会話をするのも気が重い
(前述したような性格だからね・・・)。
選別はできるのであろうが、インターネットで仲良くなった方との間柄を考えると、仲良くなった全ての人と“様々なお話をしたり”して、濃密な時間を経た上での信頼関係を築いたわけではない。
また、全ての仲良くなった方を信頼しているわけでもない
(私の事を良く思っていない方からは、発言は来ないであろう。逆に、その人の言葉の端々から、私があまり良い印象を抱いていない相手もいるであろうから・・)。
よって、必然的に表面的な付き合いになってしまう。
それであったなら、ゲーム内のコミュニケーションツール (ゲーム内のメールや掲示板) での会話で十分だと思う。
表面的な付き合いにするかどうかは、 《私の発信次第》 なのではあるが、
少ない文字数で誤解なく的確に主旨を表現できる能力は、私にはない
(ブログや手紙でさえ、私が伝えたい思いの5%位しか伝わっていないと思う。但し、ブログを元に手紙やメールで話をするのは、説明が省けて手っ取り早いし、その手紙やメールでの共通認識を持った上で、直接会話をするのも話の流れがスムーズで、とても役に立っているとは思う)。
また、オンラインゲームをしていても思うのだが、他のプレイヤーとのあいさつ (ゲーム内でのワンクリックでできる形式的なあいさつ) など、 《見えない相手との、一方的に送ることができるコミュニケーション》 は、 “なんとなく不安を書き立てられるもの” であると、つくづく思う。
実際には(物理的に言えば)、PCに向かっていようが、スマートフォンを操作していようが、その個人は1人である。にもかかわらず、 “沢山の人と繋がっている実感が湧く” というのが、インターネットの面白さでもあるのだが、不安な思考や強迫観念に追い込まれやすい部分なのだと思う。
(これは、ツイッターでも同様であると思うのだ)
ゲームで知り合った方のうち何人かは、とてもゲーム慣れしているらしく、あいさつ(ゲーム内の形式的なあいさつ)を毎日送って来ない (ひと月に1~3回くらい)。
そんな風にうまくネットでの付き合いができる方は、そう多くはないだろう。
私もそんな風になりたいとは思うのだが、私はそんなすごい人間にはなれそうにない。
つまりは、ツイッターをするとなると、返信 (reツイートと言うらしいが・・オッサンには横文字はついていけない・・) を 『しなければならない!』 と、自分を追い込んでしまう可能性が高い。
だから、 『メールを数分以内に返信しなければならない』 と思ってしまう若者のことも少しはわかる気がする。
私は、やわな人間であるので、ツイッターをするとそんな様な気分になってしまうかもしれないとも思ったりもするのだ。
しかし、携帯電話のメールの場合は、そのような “束縛された” 気分にはなりたくはないという理由で意図的に返信を制限したりはしていないのだが、いつの間にか自然に放置している・・・。
ツイッターでもこうなっちゃう可能性が高いと思われる。
・・・・・私、やっぱり向いてなさそうだね・・・。
長々と理由を書いてきましたが、
要するに、 “若くはないからできない” のか・・・(笑)。
このあたりが一番の理由だったりして・・(笑)。
誘ってくれるお気持ちはとても嬉しいし、感謝しています。
しかし、四六時中そのようなツールで繋がっていなくとも、ずっと友達です。
私はこういう人間だから、私を気に入ってくれているのなら、それだけでずっと仲良しですよ。





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