今は、音楽の持つ力 (社会変革の力) を信じていない訳ではないが、
どうひいき目に見ても、どいつもこいつも、
ハッキリとモノが言えネー奴ばかりが、メジャーに居やがる。
しかも、その言動の薄っぺらいこと・・・。
もっと深く考えられてもよさそうなモノなのに・・・
(その辺りは、余談になるので、また、書きます。←最初から脱線してる・・・。) 。
私が若い時、まだ
「どこかに人を変える力を持つ音楽をやってくれる人がいるんじゃないか?。」 と、
思っていた頃、当時住んでいたアパートの近くの A町 にあった書店で、
アイツの顔のアップが表紙の、あの雑誌を手に取って、立ち読みした。
20年以上経った今でも、しっかりと覚えてる。
以降、二度とその雑誌を手に取ることはなかった。
音楽関係でお世話になった先輩も、その内容の胸くそ悪さと、
それを笑って容認する音楽雑誌を批判していた。
いい大人が、過去のいじめを (それも、ヒドイ虐待・拷問だ!。) 笑いごとにして、
楽しんでいるのだ。
小山田のヤツ、結局は辞任したらしいのだが、謝罪文も出したらしい。
参照:謝罪文全文 自身のツイッターに掲載
「罪悪感を抱えていたら、こんな発言してないだろうし、
今回みたいな問題になってから、こういうことを言わないだろう。
その前に、どこかで言ってるだろう。」
・・って、思うけど、本当のことは私にはわからないし、今回そこには言及しない。
また、ツイッターで謝罪文を出すのがどうなのかは、私にはわからない。
わかるのは、ただ、
〈本人の所に謝りに行ってはいけない〉 と言うことだけだ。
やられた側からすれば、会うことが恐怖だったりするし、
会うことで、封印していたはずの当時の詳細な記憶が
フラッシュバックするだろう。
何よりも、本当に悪いと思っているかどうかは、
加害者本人にしかわからないから、
謝られても、なんと反応していいか迷うし、その反応を加害者が
「心の中では、笑っているかもしれない。」 と、感じて、
尚更気分が悪い。
謝罪に行こうと考えることそのものが、
被害者の気持ちを考えられていないのだ。
『謝ればいいという訳ではない!。』 ・・と、言うと、
被害者の気持ちを考えられない人は、
『謝罪を受け入れないというのは、社会の分断だ。』 とか、
『謝罪をするというのは、社会のルールだ。』 とか、
『いつまでも謝り続ければいいとでもいうのか?!。』 などと言うだろう。
この手の偽善者のセリフは、
どいつもこいつも、いつも同じだ。
わかったようなことばかり・・・。
カミサンは、高校の時に参加した、とある全国から集まった高校生の合宿で、
いじめられた子を助けられなかったことを悔やんでる。
いじめに加担したのではないが、怖くて黙ってたことを悔やんでる。
多分、毎日そのことを考えてる。
そういうことなら、機会があれば、謝ればいいと思う。
小山田の件も含め、この手のいじめの加害者は、カミサンの場合とは違う
(小山田と同様のヒドイ拷問は、また聞きで聞いたことがあるし、
小山田だけではないと思う。 また、私自身も、酷い目に遭ってきたので、
加害者に謝られても、絶対に信用できないと思う。) 。
被害者は、
謝ってほしくないばかりか、
二度と見えない所に行ってほしい!
・・・と、思うハズだ。
前にもチラッと書いたが、私自身も加害者だった経験がある。
何人かの迷惑をかけた人は、きちんと話して謝れば許してくれそうなくらいの
それ程酷いことではないと思う。私もされたし・・・。
但し、相手が、先に私に対してやった酷いことを覚えていないだろうから、
こちらが、公の場に出ることを遠慮しているのだ。
・・まあ、それはイイよ。詳しくは書けないし・・・。
唯一、どうしても相手をひどく傷つけたと思うことがある。
中学1年の時のことだ。
過去の自分のやったことについて、
穴があったら、入りたい気分で毎日を過ごしてる。
1日たりとも忘れる日はない。
相手は、私の顔を見ることはおろか、名前も聞きたくないし、
死んでほしいと思っているだろう。
私にも同じように思う人がいるから、よく解るつもりだ。
私の罪は、とてつもなく重いと思っている。
だから、私は、各種創作活動において、
匿名で活動しているし、顔も出さないのだ。
そして、その一件で、地獄で裁かれる心づもりでいる。
この阿呆も、自分のやったことを本当に反省しているなら、
そういう活動の仕方があったんじゃないかと思うのだが・・・。
・・ってことで、
コイツを擁護する偽善者、
『謝ればいい。』 とか、浅はかなことしか考えられない偽善者、
そして、攻撃することが目的で、本人以外を叩く偽善者・・・、
本当に反省しているならわかりそうなこと・・・に気付かない偽善者
(加害者本人とその取り巻き) ・・・・・、
もう、ウンザリだゼ・・・。
オレは、偽善者にはなりたくない。


どうひいき目に見ても、どいつもこいつも、
ハッキリとモノが言えネー奴ばかりが、メジャーに居やがる。
しかも、その言動の薄っぺらいこと・・・。
もっと深く考えられてもよさそうなモノなのに・・・
(その辺りは、余談になるので、また、書きます。←最初から脱線してる・・・。) 。
私が若い時、まだ
「どこかに人を変える力を持つ音楽をやってくれる人がいるんじゃないか?。」 と、
思っていた頃、当時住んでいたアパートの近くの A町 にあった書店で、
アイツの顔のアップが表紙の、あの雑誌を手に取って、立ち読みした。
20年以上経った今でも、しっかりと覚えてる。
以降、二度とその雑誌を手に取ることはなかった。
音楽関係でお世話になった先輩も、その内容の胸くそ悪さと、
それを笑って容認する音楽雑誌を批判していた。
いい大人が、過去のいじめを (それも、ヒドイ虐待・拷問だ!。) 笑いごとにして、
楽しんでいるのだ。
小山田のヤツ、結局は辞任したらしいのだが、謝罪文も出したらしい。
参照:謝罪文全文 自身のツイッターに掲載
「罪悪感を抱えていたら、こんな発言してないだろうし、
今回みたいな問題になってから、こういうことを言わないだろう。
その前に、どこかで言ってるだろう。」
・・って、思うけど、本当のことは私にはわからないし、今回そこには言及しない。
また、ツイッターで謝罪文を出すのがどうなのかは、私にはわからない。
わかるのは、ただ、
〈本人の所に謝りに行ってはいけない〉 と言うことだけだ。
やられた側からすれば、会うことが恐怖だったりするし、
会うことで、封印していたはずの当時の詳細な記憶が
フラッシュバックするだろう。
何よりも、本当に悪いと思っているかどうかは、
加害者本人にしかわからないから、
謝られても、なんと反応していいか迷うし、その反応を加害者が
「心の中では、笑っているかもしれない。」 と、感じて、
尚更気分が悪い。
謝罪に行こうと考えることそのものが、
被害者の気持ちを考えられていないのだ。
『謝ればいいという訳ではない!。』 ・・と、言うと、
被害者の気持ちを考えられない人は、
『謝罪を受け入れないというのは、社会の分断だ。』 とか、
『謝罪をするというのは、社会のルールだ。』 とか、
『いつまでも謝り続ければいいとでもいうのか?!。』 などと言うだろう。
この手の偽善者のセリフは、
どいつもこいつも、いつも同じだ。
わかったようなことばかり・・・。
カミサンは、高校の時に参加した、とある全国から集まった高校生の合宿で、
いじめられた子を助けられなかったことを悔やんでる。
いじめに加担したのではないが、怖くて黙ってたことを悔やんでる。
多分、毎日そのことを考えてる。
そういうことなら、機会があれば、謝ればいいと思う。
小山田の件も含め、この手のいじめの加害者は、カミサンの場合とは違う
(小山田と同様のヒドイ拷問は、また聞きで聞いたことがあるし、
小山田だけではないと思う。 また、私自身も、酷い目に遭ってきたので、
加害者に謝られても、絶対に信用できないと思う。) 。
被害者は、
謝ってほしくないばかりか、
二度と見えない所に行ってほしい!
・・・と、思うハズだ。
前にもチラッと書いたが、私自身も加害者だった経験がある。
何人かの迷惑をかけた人は、きちんと話して謝れば許してくれそうなくらいの
それ程酷いことではないと思う。私もされたし・・・。
但し、相手が、先に私に対してやった酷いことを覚えていないだろうから、
こちらが、公の場に出ることを遠慮しているのだ。
・・まあ、それはイイよ。詳しくは書けないし・・・。
唯一、どうしても相手をひどく傷つけたと思うことがある。
中学1年の時のことだ。
過去の自分のやったことについて、
穴があったら、入りたい気分で毎日を過ごしてる。
1日たりとも忘れる日はない。
相手は、私の顔を見ることはおろか、名前も聞きたくないし、
死んでほしいと思っているだろう。
私にも同じように思う人がいるから、よく解るつもりだ。
私の罪は、とてつもなく重いと思っている。
だから、私は、各種創作活動において、
匿名で活動しているし、顔も出さないのだ。
そして、その一件で、地獄で裁かれる心づもりでいる。
この阿呆も、自分のやったことを本当に反省しているなら、
そういう活動の仕方があったんじゃないかと思うのだが・・・。
・・ってことで、
コイツを擁護する偽善者、
『謝ればいい。』 とか、浅はかなことしか考えられない偽善者、
そして、攻撃することが目的で、本人以外を叩く偽善者・・・、
本当に反省しているならわかりそうなこと・・・に気付かない偽善者
(加害者本人とその取り巻き) ・・・・・、
もう、ウンザリだゼ・・・。
オレは、偽善者にはなりたくない。





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