時々、人と会ったり、電話がかかってきた際に言われることがある。
しかも、開口一番こう言われるのだ。
『オマエ、仕事どうするつもりだ!』 と・・・。
大抵は、相手が怒ったような口調で言うのだが (悪気があるのであろう) 、特に私は怒ることもなく、
『どうって?』 と、とぼけたように切り返すのだ。
相手は長々とお説教を始める。
さんざん、相手に言わせた挙句、私はたった一言、 『オレと同じ障害になったらわかるんじゃないの?。まず、会社は肩たたきだろうなぁ。』 などと、軽~い口調で言ってやる。
相手は数秒の気まずい沈黙の後、慌てたように自分の発言の言い訳を並べた末に、更に長々と食い下がる (詳細は省略させていただくが、笑ってしまうくらい、どいつもコイツも同じパターンの受け答えなのだ!)。
そして、そこで初めて私は自分の置かれている状況を 『前から何回も説明してるけど!、オレは・・・・』 と、嫌味たっぷりの前置きをして説明する。
しかし、 【何故、仕事がないのか】 を説明しても聞く耳を持っていないらしく、私の説明が理解できないらしい ( 【何故、仕事がないのか】 については、後日改めて書かせていただく・・・かもしれない。 それ以前に、仕事に行くなら子どもはどうするんだ!・・という問題もあるのだが・・) 。
こんなことを言ってくる人の共通点がある。
【仕事に恵まれていて、高収入である】 事だ。
つまりは、いつも書いているように、
《相手の立場に立てない》わけだ。
“自分が、たまたま恵まれた状況にいる事” を見ようとしないのだ。
中には、年収が850万超えであるのに、 『俺は最底辺の労働者だ』 とぬかす奴もいる (年収120万位で暮らした事もないくせに・・・すごくムカつく!。私から見れば、ウチのカミサンの年収300万でも高収入だが・・) 。
そして、昔はイイ奴だったのに、いつの間にやら民族差別発言をしつこいくらいにするようになっていたりもする (要するに、見下す相手が欲しいのだろう)。
(友人とは言っても、趣味などで繋がっているだけの “ワル仲間” だ。本当に心を許した人間ではない。
ただし、私の事はできるだけ我慢するが、あんまりにもしつこい場合や、他民族差別などの発言には、徹底的に食い下がることにしている。大概は見苦しい言い訳を重ねてくるのだが、そのような場合は、先輩であろうと自分が極貧の時に世話になった相手であろうと、見境なく怒鳴りつけることになる。)
一方で、仕事のことなど、私に対して何も言わないが、私の立場や、仕事にあぶれた人間の立場を理解できない人もいる
( 言動の端々からそれがわかるのであるが・・・。
私との会話の中で、それが表出する人もいる。
また、私の入っていない会話のみで、それが表出しているのを聞き(&読み)とることもある。この場合は、対人スキルが優れているのであろう。
【仕事に恵まれていて、高収入である】 事の共通点は同じだ。 ) 。
こういう場合は、悪気がないから (もしくは、悪気があっても、対人スキルが優れているから・・かもしれないが) 、強い口調で言われる事は少ない。
しかし、前者と同じで、つまりは、 《相手の立場に立てない》 わけであることには変わりはない。
相手の立場に立てないのであるから、当然であるが口を滑らせるわけだ ( だから怒った口調ではないのだ。 そして、その “口を滑らせた事” を私は見逃さないのだ! ) 。
どちらの場合も、言っても解からないのだ。他人の立場に立って共感する能力が欠如しているからだ。
私が憤りを表明して、相手は 「わかったよ。」 って言っても、
全く理解していないのだ!。
謝罪がなかったり、「今後は空気読むよ」などと言っちゃうのだから・・。
『なにが空気だよ。そんなもの考えなくていいから、相手の気持ちを考えろ!』と、言いたい所だが、私は呆れて声も出なくなってしまう・・・(それが解からないのだから、そんなことを言っても無駄だよね・・・) 。
(もちろん、そういう人たちだから、理解していないのは仕事の事だけではない。)
人間としてあたりまえの、他人の立場への共感ができない人ばかりの世の中で、そのような人間ばかりが生き残って、益々蔓延る。
そして、そのような人間が、同じような代表者を選び、更に他人の立場を理解しようとしない世の中が進んでいく。
私は、そんな社会や、そんな人たちとの人間関係に疲れ果てたのだ。
だから、私から見て、 《いわゆるエリート》 な人間に対しては、特に警戒している (ちょっとやそっとじゃ信用しない) し、言動をよく見ているつもりだ
(私から見て、 《いわゆるエリート》 な人間は、すごく幅広いわけなのだが・・笑)。
だからこそ、先日亡くなった友人が、私から見て、 《いわゆるエリート》 であるにもかかわらず、相手の立場をよく理解し、他人の痛みをよくわかる人間であった事が嬉しかったし、そんな出会いに心の底から感謝していたのだ。
先日亡くなった友人と、 《他人の立場に立てない人》 との違いは、一体何であろうか?。
もちろん、知的水準もあるとは思うが (とても知的な人だった) 、それだけではないと思う。
本人の優しさや、優しさを実現する為の絶え間ない努力を続けていくことができる確固たる意志が違うのだと思う。
つまりは、自分の行動や発言に責任を持ち、常に自分を律して生きているかどうかが違うのだろう。
息子には、他人の立場を様々な角度から考える事ができる人間になってほしいと思っている
(彼が生まれる前から、思っていた)
(勝手な決め付けを根拠に差別をするような阿呆には、なってほしくないのは、当たり前なんだが・・) 。
まだまだ悲しみが癒えないのであるが、この話は故人と8月頃に 『ブログに書くよ』 と、話していたので、書かせていただいた。


にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
しかも、開口一番こう言われるのだ。
『オマエ、仕事どうするつもりだ!』 と・・・。
大抵は、相手が怒ったような口調で言うのだが (悪気があるのであろう) 、特に私は怒ることもなく、
『どうって?』 と、とぼけたように切り返すのだ。
相手は長々とお説教を始める。
さんざん、相手に言わせた挙句、私はたった一言、 『オレと同じ障害になったらわかるんじゃないの?。まず、会社は肩たたきだろうなぁ。』 などと、軽~い口調で言ってやる。
相手は数秒の気まずい沈黙の後、慌てたように自分の発言の言い訳を並べた末に、更に長々と食い下がる (詳細は省略させていただくが、笑ってしまうくらい、どいつもコイツも同じパターンの受け答えなのだ!)。
そして、そこで初めて私は自分の置かれている状況を 『前から何回も説明してるけど!、オレは・・・・』 と、嫌味たっぷりの前置きをして説明する。
しかし、 【何故、仕事がないのか】 を説明しても聞く耳を持っていないらしく、私の説明が理解できないらしい ( 【何故、仕事がないのか】 については、後日改めて書かせていただく・・・かもしれない。 それ以前に、仕事に行くなら子どもはどうするんだ!・・という問題もあるのだが・・) 。
こんなことを言ってくる人の共通点がある。
【仕事に恵まれていて、高収入である】 事だ。
つまりは、いつも書いているように、
《相手の立場に立てない》わけだ。
“自分が、たまたま恵まれた状況にいる事” を見ようとしないのだ。
中には、年収が850万超えであるのに、 『俺は最底辺の労働者だ』 とぬかす奴もいる (年収120万位で暮らした事もないくせに・・・すごくムカつく!。私から見れば、ウチのカミサンの年収300万でも高収入だが・・) 。
そして、昔はイイ奴だったのに、いつの間にやら民族差別発言をしつこいくらいにするようになっていたりもする (要するに、見下す相手が欲しいのだろう)。
(友人とは言っても、趣味などで繋がっているだけの “ワル仲間” だ。本当に心を許した人間ではない。
ただし、私の事はできるだけ我慢するが、あんまりにもしつこい場合や、他民族差別などの発言には、徹底的に食い下がることにしている。大概は見苦しい言い訳を重ねてくるのだが、そのような場合は、先輩であろうと自分が極貧の時に世話になった相手であろうと、見境なく怒鳴りつけることになる。)
一方で、仕事のことなど、私に対して何も言わないが、私の立場や、仕事にあぶれた人間の立場を理解できない人もいる
( 言動の端々からそれがわかるのであるが・・・。
私との会話の中で、それが表出する人もいる。
また、私の入っていない会話のみで、それが表出しているのを聞き(&読み)とることもある。この場合は、対人スキルが優れているのであろう。
【仕事に恵まれていて、高収入である】 事の共通点は同じだ。 ) 。
こういう場合は、悪気がないから (もしくは、悪気があっても、対人スキルが優れているから・・かもしれないが) 、強い口調で言われる事は少ない。
しかし、前者と同じで、つまりは、 《相手の立場に立てない》 わけであることには変わりはない。
相手の立場に立てないのであるから、当然であるが口を滑らせるわけだ ( だから怒った口調ではないのだ。 そして、その “口を滑らせた事” を私は見逃さないのだ! ) 。
どちらの場合も、言っても解からないのだ。他人の立場に立って共感する能力が欠如しているからだ。
私が憤りを表明して、相手は 「わかったよ。」 って言っても、
全く理解していないのだ!。
謝罪がなかったり、「今後は空気読むよ」などと言っちゃうのだから・・。
『なにが空気だよ。そんなもの考えなくていいから、相手の気持ちを考えろ!』と、言いたい所だが、私は呆れて声も出なくなってしまう・・・(それが解からないのだから、そんなことを言っても無駄だよね・・・) 。
(もちろん、そういう人たちだから、理解していないのは仕事の事だけではない。)
人間としてあたりまえの、他人の立場への共感ができない人ばかりの世の中で、そのような人間ばかりが生き残って、益々蔓延る。
そして、そのような人間が、同じような代表者を選び、更に他人の立場を理解しようとしない世の中が進んでいく。
私は、そんな社会や、そんな人たちとの人間関係に疲れ果てたのだ。
だから、私から見て、 《いわゆるエリート》 な人間に対しては、特に警戒している (ちょっとやそっとじゃ信用しない) し、言動をよく見ているつもりだ
(私から見て、 《いわゆるエリート》 な人間は、すごく幅広いわけなのだが・・笑)。
だからこそ、先日亡くなった友人が、私から見て、 《いわゆるエリート》 であるにもかかわらず、相手の立場をよく理解し、他人の痛みをよくわかる人間であった事が嬉しかったし、そんな出会いに心の底から感謝していたのだ。
先日亡くなった友人と、 《他人の立場に立てない人》 との違いは、一体何であろうか?。
もちろん、知的水準もあるとは思うが (とても知的な人だった) 、それだけではないと思う。
本人の優しさや、優しさを実現する為の絶え間ない努力を続けていくことができる確固たる意志が違うのだと思う。
つまりは、自分の行動や発言に責任を持ち、常に自分を律して生きているかどうかが違うのだろう。
息子には、他人の立場を様々な角度から考える事ができる人間になってほしいと思っている
(彼が生まれる前から、思っていた)
(勝手な決め付けを根拠に差別をするような阿呆には、なってほしくないのは、当たり前なんだが・・) 。
まだまだ悲しみが癒えないのであるが、この話は故人と8月頃に 『ブログに書くよ』 と、話していたので、書かせていただいた。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
- 関連記事
-
-
聞く耳持たず 2012/09/18
-
病人の立場に立てない医療従事者 2012/10/08
-
欠落 2012/11/12
-
教育? 冗談だろ? 2012/11/17
-
いろいろいるらしい 2012/11/24
-
2012.11/12 Mon 00:00|差別・人権・民主主義||TOP↑