その犬を最初に見たのは、3年前の正月だった。
雪の中を尻尾をたれ下げて、とぼとぼと歩いていた。
呼んでも、食べ物を投げても、 “恐る恐る” 尻尾を後ろ足の間に垂れ下げて、そろりそろりと離れていくだけだった。
人間からひどい目にあったのであろうと推測されるその犬が、かわいそうでならなかった。
恐怖におびえたその心情が、自分のことのように感じたのだ (異常な人間の被害にあったことのない人には、恐怖におびえた心がどんなにつらいことかは、わからないと思う。また、大概そういう人は、「警察に行けばいい」だとか、「裁判でもすれば?」とか軽々しく言うのだが、世の中の多くのことは、そんなことで解決しない問題だということも、経験しないとわからないらしい・・) 。
このまま、この悲しい、一人ぼっちの気持ちのまま、あの犬が生涯をすごしていくのかと思うと、何ともいたたまれない気持ちになった。
その気持ちから、なんとか解放してやりたかった。
そこで、 『オレたちと一緒に暮らせばいい』
『オレの群れに入ればいい』
・・・ と思ったのだ。
それから、ウォーキングのたびにその犬を探した。何回かに1回は遭遇することができた。
パンを投げ、 「オマエのだからな。食べな」 と、言って去っていくことを繰り返した。
最初は食べなかったのだが (後で、戻って食べていると思われた) 、徐々にパンを咥えて去っていくようになり、その後はその場でパンを咥えたまま様子を伺うようになった (私たちが離れていくと、食べだすのだ) 。
しかし、子どもが生まれてからは、なかなかウォーキングに出ることもできず、時々車でそのあたりを通って探すことしかできなかった。
最後に見たのは、3月だった。
以来、見ることもなく、どこかで死んだのではないかと思っていた。
しかし、今日、その近くの家の敷地に、寝そべっているのを車の中から見たのだ!。
しかも、非常に落ち着いた表情になってる!。
ガリガリだった体も、ふっくらしている。
寝そべっている隣には、その家のオヤジが椅子を出して、いい顔をして日向ぼっこしている。
あのオヤジの群れに入れてもらったのか。安心したぜ!。



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雪の中を尻尾をたれ下げて、とぼとぼと歩いていた。
呼んでも、食べ物を投げても、 “恐る恐る” 尻尾を後ろ足の間に垂れ下げて、そろりそろりと離れていくだけだった。
人間からひどい目にあったのであろうと推測されるその犬が、かわいそうでならなかった。
恐怖におびえたその心情が、自分のことのように感じたのだ (異常な人間の被害にあったことのない人には、恐怖におびえた心がどんなにつらいことかは、わからないと思う。また、大概そういう人は、「警察に行けばいい」だとか、「裁判でもすれば?」とか軽々しく言うのだが、世の中の多くのことは、そんなことで解決しない問題だということも、経験しないとわからないらしい・・) 。
このまま、この悲しい、一人ぼっちの気持ちのまま、あの犬が生涯をすごしていくのかと思うと、何ともいたたまれない気持ちになった。
その気持ちから、なんとか解放してやりたかった。
そこで、 『オレたちと一緒に暮らせばいい』
『オレの群れに入ればいい』
・・・ と思ったのだ。
それから、ウォーキングのたびにその犬を探した。何回かに1回は遭遇することができた。
パンを投げ、 「オマエのだからな。食べな」 と、言って去っていくことを繰り返した。
最初は食べなかったのだが (後で、戻って食べていると思われた) 、徐々にパンを咥えて去っていくようになり、その後はその場でパンを咥えたまま様子を伺うようになった (私たちが離れていくと、食べだすのだ) 。
しかし、子どもが生まれてからは、なかなかウォーキングに出ることもできず、時々車でそのあたりを通って探すことしかできなかった。
最後に見たのは、3月だった。
以来、見ることもなく、どこかで死んだのではないかと思っていた。
しかし、今日、その近くの家の敷地に、寝そべっているのを車の中から見たのだ!。
しかも、非常に落ち着いた表情になってる!。
ガリガリだった体も、ふっくらしている。
寝そべっている隣には、その家のオヤジが椅子を出して、いい顔をして日向ぼっこしている。
あのオヤジの群れに入れてもらったのか。安心したぜ!。

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